映画日記『ローレル・キャニオン』才能もお金も分かち合えた夢の園
①独身時代のフィリップ・マーローも住んでいた
監督は、……誰だっけ。まあ、とにかくロックのドキュメンタリー映画だ。アメリカでは2020年の制作?公開?らしい。カリフォルニアの特定の地域に、幾人ものミュージシャンが集まって暮らしていて、刺激をし合って、その間に素晴らしいアルバムが何枚も発表されたのだそうだ。年代的には1965年から1975年までの約10年間だ。
私が洋楽といわれるものを聞き始めるのが、1974、5年頃からだ。といってもブリティッシュ・ロックが好みだったから、この映画で取り上げられているアメリカン・ロックとかウェストコースト・サウンドは、あまり聴いていない。だからこの映画で流れてくる音楽は、最低限、ヒット曲は知っているものの、アルバムとしてちゃんと聴いたことのないものばかりだ。ジョニ・ミッチェルとドアーズくらいだろうか、私がちゃんと聴いたことがあるのは。でも、ロックの教養?としてこの映画は観ておきたいと思って、映画館へ行った。
いつものようにアップリンク吉祥寺で観た。上映2週目。この映画館にはスクリーンが5つあり、今回は一番小さなスクリーンの5だったから、客席数は29だ。そこに8割ほどの入りだった。例によってお客さんの年齢層は高かった。そして男はむさくるしくて、女性陣はおしゃれで格好良かった。
この映画の主役となる地域が、ローレル・キャニオンだ。ウィキペディアによると、カリフォルニア州ロサンゼルスのハリウッドヒルズ・ウェスト地区内、サンタモニカ山脈のハリウッドヒルズ地域の山岳地帯だとあった。
ローレル・キャニオンという地名で私がイメージできるのは、レイモンド・チャンドラーやロス・マクドナルドの探偵小説だ。特にチャンドラーの探偵、フィリップ・マーローは、ずばりローレル・キャニオンに住居を借りて住んでいた。作品名でいくと『長いお別れ』の時だ。つい最近、田口俊樹の新訳『長い別れ』が創元推理文庫で出たばかりだ。
マーローにとってここは、山間の自然が豊かな住宅地で、静かだし、駐車スペースも十分にあり、家賃も安く、探偵事務所を構えている街中まで、車で10分ほどと利便性も高く、たいして儲かっていない私立探偵が住むにはちょうどよい場所だったのだ。マーローは架空の人物だが、彼が住んでいたのは戦後から1950年代の数年間で、リンダ・ローリングと結婚して引っ越すまでの間だ。ミュージシャンが集まってくるより10年以上前のことだ。
ロス・マクドナルドの探偵、リュウ・アーチャーも、作品の舞台はロサンゼルスなので、住居はローレル・キャニオンあたりかもしれない。依頼人や登場人物の住居として、〇〇キャニオンという名前がよく出てきたような気がする。しかし、ロス・マクドナルドの翻訳本は、全部古書店に売ってしまって手もとにないので、確かめようがない。マクドナルド作品は、世評が高い割に、それほど面白いと思ったことがないのだ、私は。
ローレル・キャニオンの近くのどこかの斜面に、谷を見下ろし、街並みを眺望できるハリー・ボッシュの家も建っているのだろうか、などと、また余計なことを考えた。ハリー・ボッシュも、マーローと同じ架空の人物だ。マイクル・コナリーという作家が創作した人物で、ロサンゼルスを舞台に活躍する刑事だ。ボッシュは、90年代から今に至るまで同じ家に住んでいる。
映像で見るローレル・キャニオンは、東京近郊の多摩センターとか横浜に似ていた。ただし、規模が違う。横浜などの斜面にある住宅地のもっともっと広大なものだった。それぞれの建物も日本よりはずっと大きい。庭も広いし、住宅と住宅の間隔ももっと離れている。ただ、道路は、片側一車線で、思ったほど広くはなかった。電気ガスや上下水道といったインフラはどうなっているのだろう、工事一つするにしても大変な気がした。
②音楽もお金も子育てもみんなで共有
映画とは関係のないことばかりを書いているが、映画もちゃんと面白かった。映画の流れを箇条書きにしてみる。
まずカメラマンが二人、登場する。一人は男で、彼は最初、バンドの一員として、ローレルキャニオンにやってきて、その後、カメラマンとなって、今でもそこに住んでいるようだった。もう一人は女性だ。…女性だからフォトグラファーとした方がいいのか… 彼女は、現在、どこに住んでいるのかわからないが、当時は、ペンタックスのカメラを抱えて、写真を撮っていたようだ。この二人が、MCのような役回りで、当時を紹介してくれる。
最初に「バーズ」や「バッファロー・スプリングスフィールド」「ママス&パパス」らが、ローレル・キャニオンに住みはじめ、その後、音楽仲間、友人、知人、関係者らが、どんどん集まってきて、隣近所に住み始める。彼らにとって、そこは、利便性が高く、家賃が格安だったからだ。
ここのコミュニティーの中心人物は、ママス&パパスのキャス・エリオットだった。ママス&パパスいうと「夢のカリフォルニア」「花のサンフランシスコ」の2曲は私も知っているが、それ以外は何も知らない。アルバムも聴いたことがないどころか、ジャケットを思い浮かべることもできない。太った女性の名前がキャス・エリオットだということも、この映画を観て初めて知った。映画によると、キャス・エリオットを中心に、自分たちの子育ても含めて、みんなで携わるゆるやかな共同体のようなものが実現していた。
彼らミュージシャンたちは、家にカギをかけずに、自分の家を開放し、他人の家にも自由に出入りして、パーティーをやったり、音楽を共作したり、練習をしたり、恋愛をしたり、マリファナを吸ったりしていた。それは大きな家族のようなもので、みんなが仲間だったと、当時を振り返ってインタビューに答えている人たちは誰もが語っていた。
音楽で成功した者は、お金もあって、そのお金をみんなにも回して分かち合っていた、ように見える。成功を夢見る者には、ここに来れば、出し惜しみも分け隔てもなく教えてくれる先輩たちがいて、音楽的にも人生的にも助言してくれる学校のうな、日本の大学サークルにも見えなくもない、場所として機能していたように見える。そこでは、音楽的な知見も技術も、お金も、共有財産のように、見えた。実際にある一時期は、共有財産だったのだと思う。
ローレル・キャニオンには、ミュージシャンだけではなく、マネージャーもプロデューサーもカメラマンも引っ越してくる。途中から「ドアーズ」「ジョニ・ミッチェル」「モンキーズ」「フランク・ザッパ」などもやってくる。でも、ザッパは、ウェストコースト・サウンドにくくることはできない感じだ。この映画と関係がないけれど、スパークスの兄弟も、西海岸の人だ。ローレル・キャニオンから遠くないところに住んでいる筈だが、やっぱりザッパ同様、ウェストコースト・サウンドとは無縁なのだろうな。
野外フェスの走りとなった「ウッドストック」が開催される。草原に50万人の人が集まった音楽の祭典だ。ローレル・キャニオンの住人の何人かもステージに出る。ここがローレル・キャニオンの暮らしのピークだったのではないか。
そして「シャロンテート殺人事件」も起こる。これはミュージシャンとしては売れなかったチャールズ・マンソンに率いられた「ファミリー」という集団が起こした複数の猟奇殺人事権だ。平和なヒッピーの共同体の中に、大きな亀裂が入る。犯人の何人かは、彼らの古い友人だったりした。この事件を取材したエド・サンダースの『ファミリー』という本は、現在は草思社文庫で上下巻で売っていたな、なんて思いながら見ていた。
そして「オルタモントの悲劇」が起こる。フリーコンサートだったが、警備にあたったヘルス・エンジェルスが、ローリング・ストーンズの演奏中に観客を殺してしまった事件だ。やはりローレル・キャニオン居住のミュージシャンが何人か参加していた。
このあたりで、ローレル・キャニオンの牧歌的な前半が終わる。
③巨大化する音楽産業。仲間から競争相手に
「ジャクソン・ブラウン」や「リンダ・ロンシュタット」などがやってくるのは、後半になってからだ。リンダのバックバンド・のメンバーだった「グレン・フライ」と「ドン・ヘイリー」もやってくる。この二人は「イーグルス」を結成する。二人以外のメンバーは、リンダの推薦によって集められた。
ジャクソン・ブラウンが作りかけて途中でやめていた曲をグレン・フライがもらい受けて「テイク・イット・イージー」として完成させる。イーグルスは、アルバム2枚を出したものの、全然売れなかった。しかし、リンダ・ロンシュタットがイーグルスの「デスペラード」をカバーして大ヒットさせる。それがイーグルスのオリジナルに火をつけて、その後、イーグルスはヒットを連発するバンドに成長していく。
この時期からアメリカの音楽産業が巨大化し、コンサートもスタジアムが中心となっていく。ミュージシャン同士の付き合いも、ビジネスライクになってゆき、ローレル・キャニオンの住人も仲間から競争相手になっていく。そのうちに、ローレル・キャニオンから一人、また一人と引っ越していって、ちりじりになり、終焉をむかえてゆく。この間、約10年。膨大の数の曲が作られ、名盤と言われるアルバムが多数発表された。
居住者の新陳代謝は、2、3年ほどのスパンのようだったが、10年にもわたって理想的な環境が維持されたのは、すごいことだと思う。同時にアメリカの豊かさを痛感した。これがロンドンだったら、みんなどうしようもなく貧乏で、どこかに悲惨さがあるものだが、ローレル・キャニオンには、経済的な豊かさを感じるのだ。
年齢的なこともあって私が一番シンパシーを感じるのは、ロンドンパンクだったりするのだが、ロンドンパンクの連中は、あまり楽器が出来ない。みんなデビューしてから楽器を練習して、人によっては上達するが、まったくできないままの奴もいた。しかし、ローレル・キャニオンの住人たちは、若いのにみんな楽器が上手だ。ギターも弾ければ、ピアノも弾ける人が多い。歌だってうまい。簡単にハモることが出来る。ロンドンパンクの連中は、ハーモニーとは無縁の人が多い。ロンドンとカリフォルニアのこの差は何なのだろうか、ちょっと気になった。
アメリカではヒッピーの担い手が裕福な家庭の子女だったように、ローレル・キャニオンに集った人たちもそっちの層だったのだろうか。
この映画に出てくる人たちの顔は、みんな笑顔だった。とくに若いジョニ・ミッチェルが初々しくて、驚いた。私がジョニ・ミッチェルを聴くようになったのはアルバム『ミンガス』あたりからだから、すでにベテランの貫禄があったので、新鮮な発見だった。