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映画日記 『箱男』 女性は常に若く、男らだけが年をとっていく




映画『箱男』を観てきた。時々爆笑したけど、全体的にはつまらなかった。途中何度も眠たくなった。

冷蔵庫を梱包していたとおぼしき大きな段ボール箱を被った箱男の動きを見て、しばらく前に流行っていた「ふなっしー」とか、現在、YouTubeで時々見ている「ちぃたん」を思い出した。二人とも、ゆるキャラなのに、過激な動きをするのだ。この文章の最後に「ちぃたん」のYouTube動画を貼り付けてみた。(特に意味はないが、私には悪意があるかもしれない。)

映画『箱男』は、由緒正しい前衛というか、昔の前衛映画のパロディみたいだという印象を持った。外国向けなのか、箱の中の箱男は、最初はなぜか歌舞伎調の隈取を施されているし…。

画像はフィルムっぽくて、今の映画にしては粗いというか、輪郭の曖昧な画面だった。音楽も、とっても古い、これぞ前衛といった印象だった。

作品の時代設定がよくわからなかった。

映画の冒頭に、1973年の新聞のからの引用があるが、その新聞も映画用に作られたものようだし、そこだけ何で1973年と西暦を強調しているのか、意味がわからなかった。

映画の中では、ノート・パソコンも普通に出てくるから、時代設定は大まかに現代なのだとは思う。

拳銃やライフルのような長い猟銃?も、無造作に出て来て、銃撃戦が起こったりするのは、どうしてだったのだろうか?

あれはエアガンだったのか、それとも本物という設定だったのだろうか? リアルな映画なのか、マンガっぽい映画なのか、よくわからないのだった。

箱男は何人か出てきたが、箱女は出てこなかった。箱女は、原作にもなかった。私が勝手に妄想しただけだ。

映画には、原作にあったような、箱の作り方も出てこなかった。画面に映る箱男の箱には、やけに正確に切り取られたのぞき窓があって、工場製品のようなのだ。

食料調達の方法も出てこなかった。何十年も前の、それも一回しか読んだことのない記憶だが、原作小説には、食料調達の方法などが描かれていて、拾ったパンは乾燥させて粉にすれば、パン粉になるし、みたいな記述があったと思う。

だから、『箱男』は、「段ボール箱をかぶったホームレス+αのハナシ」だ、と私は認識していた。違うのだろうか?

箱男は、基本的にホームレスだとして、その中でも引きこもっているホームレスのように、私はずっと思って来た。しかし、普通に考えると、ホームレスと引きこもりを両立させるのは、かなり難しそうだ。

どう考えても、箱男をやるのは、難しい。というより、不可能だ。

とか、色々と考えたが、映画『箱男』は、そもそもそういうハナシではないのだろう。箱の中で、文章も書くし、煙草も吸うし、フィルムの現像まで行う。医者にかかる時には、箱の外に出るし、かなり都合がいいというか、万能と言えば万能なのだ。

だから、私のように表面的なことにこだわってはいけないのだ。この映画は、高尚で芸術的な作品なんだろう。前向きに意味を考えて、見るべき作品なのだ。安倍公房の原作小説も、評価が高そうだし……。

こっちが覗いていたら、実は覗かれていたのだ、なんて、段ボールに開けられた覗き穴(窓)を境界にして、立場が逆転するパターンに何か深い意味のある映画なんだろうと思う。私は、馬鹿だから、そういう難しいのは苦手なのだ。

それにしても、段ボール箱から手足を出した箱男の姿は、私には、汚いゆるキャラにしか見えないのだ。その姿で移動したり走り回ったりする姿は、着ぐるみそのもので、時々、爆笑してしまった。

笑うと言えば、映画が始まってすぐに、箱男が、鎖鎌男?に襲撃され、対決し、そして必死に逃れるシーンがあるのだが、低予算の特撮モノのパロディみたいで、笑ってしまった。

途中から、「ふなっしー」や「ちぃたん」どころではなく、巨大な風船から首だけ出した大道芸人まで連想してしまって困った。今、調べたら、風船の大道芸人は、「風船太郎」と言うらしい。

また、映画の後半で、偽看護師の女性が、移動手段にキックボードを使っていたのにも、噴き出してしまった。なんでわざわざキックボードなのだろうか? シュールというよりは、ギャグにしか見えない。

でも、毎回、笑っているのは私くらいで、他のお客さんたちは、みんな真剣に見ていた。多分、私がズレているのだ。

若干、大きな鼾も聞こえてきたから、寝ている人もいた。実は私も途中、何度も眠たくなって困った。

監督が石井聰亙(今は石井岳龍に改名)だから、人気のない湾岸工場地帯で、箱男軍団と箱女軍団が、パンクロックをバックに肉弾戦を繰り広げるアクション映画なんじゃないか(私は『狂い咲きサンダーロード』と『爆裂都市』と『逆噴射家族』は大好きだった)と、ひそかに期待して観に行ったのだが、全然違っていた。

当たり前か……。


映画『箱男』には、20代前半と思しき若くて背の高そうな女性が出て来る。その女性は偽看護師という設定なのだけど、時々裸になる。

なんで服を脱ぐのか、なんで裸を晒すのか、その必要性や理由が、よくわからなかった。脱がなくても済んだ気がするし、なんとなく老人向けサービスのように、私には見えた。

そして彼女を巡って、60代とか50代の3人のオヤジが、それぞれ、他人には了解不能な箱男に関する講釈をたれ、美意識を語りながら、ジタバタするという、昔から見慣れた「若い女の子を囲んで中年オヤジが小躍りする」パターンの映画だった。

それこそいつものパターンで、女性は男らの娘か孫くらいに若い年齢なのだが、オヤジ達は、新しい映画作られるたびに、年寄りになっていく。そして大抵、その若い女性は、オヤジ達と対等か、オヤジ達を軽々と凌駕するくらいの存在として作品の中では描かれている。

が、その女性役の俳優が、それに見合った演技をしていたかは、よくわからない。私には、俳優としても、演技の上でも、無理をしてオヤジ連中に合わせてくれているように感じてしまうのだ。我ながら変な日本語だ……。

この場合のオヤジ連中には、監督とかスタッフも含まれる。このへん、自分でもうまく説明できないことを書いているなと思う。

一方のオヤジ達は、必死になって、やっと、若い女性と並んでいられる、みたいな感じだ。やっぱり、わかりづらい文章を書いているなあと思う。

単純に年齢が釣り合わないと感じたことも大きい。オヤジ達を基準にするのなら、偽看護師を中年の婦長さんくらいにした方が釣り合ったと思う。偽看護師を基準にするのなら、男の出演者たちを、あと20歳くらい若い俳優にした方が、釣り合ったと思うのだ。

なんだかこれでは老人と若い娘という、日本伝統の糞パターンでしかないではないか? 2024年にこれを見せられるのは、ちょっとなあ、と思うのだ。


人と人との距離は両手を広げた間隔が適切だ、などと映画の中で誰かがセリフで語る。そして、偽看護師の女性は、簡単にその距離を詰めて、オヤジ達のテリトリーに侵入してくる。

それは水商売のテクニックのようにも見えるし、介護事業所で見かける、若い女性ヘルパーさんとボケたジジイの関係みたいにも見える。

水商売も、ペルパーさんの傾聴も、相手を否定せずに寄り添うという職業的な技術だけれど、偽看護師は、病院に住み込みで公私の区別もないという設定だから、職業的な技術ではないことにされている気がする。

少し前に観た、『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』というドキュメンタリー映画の中にあった、1967年に寺山修司が作った「日の丸」というドキュメンタリーの場面を連想した。(…単に、女性レポーターの顔が近すぎるというだけなのだけど)

やっぱりうまく説明できない。

オヤジ達は若い女性に、箱男についてとか、自分の美意識のようなものを一方的に語りたがって、本当に語ってばかりいる。そして、若い女性は、ちゃんと話を聞いてあげている。

オヤジ達は、若い女性に何を見て、何を背負わせているのだろうか? こういう関係が、男のロマンなのかなあ、と思うと、少し気持ちが悪くなってくる。自己嫌悪かなあ。

そもそも、箱男の箱は、あってもなくてもいいような気がしてきた。例えば、匿名で生息するのなら箱をスマホに置き換えても、この映画は成り立つような気がした。って、身も蓋もなさ過ぎるか……。

それにしても、限られた予算で作られたってことがよく伝わってくる映画だった。私が書いているこの文章は、ほとんど言いがかりのようなものだけれど、安部公房の『箱男』を映画化するのなら、もっとお金をかけて、しっかりした娯楽映画(バトルもの)に作らなきゃダメだったんじゃないか、とか思った。

この映画を作った人達、関わった人達には、こんな感想文を書いてごめんなさいと言うしかない……。



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