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読書日記 宋恵媛/望月優太・共著『密航のち洗濯』柏書房 私はいざとなったら密航できるだろうか?


在日朝鮮人は、なんで在日のままなんだろうか? 税金は取られているのに、いまだに選挙権がないのはなんでだろうか? この間の都知事選挙に立候補した人たちの中でも、ありもしない在日特権を許さないなんて言っている人達が複数人いて、ある程度の票を得ていたのは、なんでだろうか? そもそも在日に選挙権を与えようと主張して、国政に立候補する人がいないのは、なんでだろうか? 

日本は、どんどん駄目な国になってきていると思う今日この頃、胸が熱くなるような本を読んだ。宋恵媛/望月優太・共著『密航のち洗濯 ときどき作家』柏書房という本だ。

日本の植民地下の朝鮮半島で生まれ、戦中からは日本で暮らした作家・尹紫遠(ユンジャウォン)とその妻、子供たちの歴史を丹念に掘り起こしたノンフィクションだ。

尹は、母語はほぽ日本語で、韓国語はあまり得意ではない。1911年に朝鮮半島で生まれて、1964年に日本で亡くなっている。戦中に朝鮮半島と日本との間で密航を繰り返し、戦後はずっと東京に住んでいた。

極貧のまま日本人と結婚し、子供をもうけ、洗濯屋さんをやりながら生活し、その合間に日記を書き、小説を書いた。短歌集を刊行し、少しの短編小説が残っているが、在日作家としても無名だ。

著者たちは尹と家族が残した日記や小説から、尹紫遠とその家族の物語をこの本で再現している。そこには、戦後の在日朝鮮・韓国人をめぐる入管行政の無責任さに翻弄され、極貧にあえぎながらも必死で生きている家族が浮かび上がっている。

私が住んでいる町にも、こういう人達がいたことは、間違いがない。廃品回収業の家もあったし、焼肉店もあったが、私はほとんど接触しないで、生きてきた。今でも彼等の店はあるし、今でも彼等には選挙権もない。

日本の在日に対する態度は、難民に対する現在の対応に、そのまま受け継がれているように見えて、なんともやるせない気持ちになる。

結局、人間は歴史に翻弄され、それでもあがいて生きていかなければならない。私はちゃんとあがいているだろうか? こういう本を読むと、自分もちゃんと生きなきゃだめだなと、子供のように思うのだった。

私は、いざとなったら密航しただろうか? 密航するだろうか? 洗濯屋なんかやるバイタリティがあるだろうか? その上で、小説なんか書けるだろうか? 国も行政も頼りになるどころが、敵だし、そんな中で暮らしを立てて家族を作って生きていけるのだろうか? ひたすら茫然としてしまう。



ところで、この『密航のち洗濯』も、先日読んだ堀川恵子の『暁の宇品』も、何人かの日記や回顧録、自伝などを中心的な資料として、本が書かれている。特に『暁の宇品』のキーパーソンになっている人物の自伝が占める要素は大きい。

その自伝は、刊行されたものなのか、自費出版されたものなのか、手書きのものなのかは、定かではないが、著者たちは、それらを資料にして、当時にいろいろな記録を照らし合わせて、パッチワークのように、その人たちの物語を、再現している。それはもう、ものすごい労力だと思う。

世の中にはそんな風に資料になる日記を書いている人が相当数いる。いるのだけれど、そういった日記は、どこまで信用できるのだろうか? といびつな心の持ち主の私は時々思うのだ。

日記は、人に見せない前提だから、正直に書いてあるのだろうか。それとも、後々誰かに読んで欲しいから、自分に都合の良い事実とは異なったこが書いてあるのだろうか、と疑ってしまうのだ。

私もよく、noteや他のsnsに、日記のような文章を書いているが、正直に書いているつもりでも、事実に即したことを書いているのか、自分のことながら疑わしいのだ。とくに昔のことなど、自分の記憶が当てになるのか、自信がないのだ。

私は、心の弱い人間なので、記憶もいつの間にか都合の良いように、捏造しているんじゃないかと、自分の記憶も信用できないのだ。自分がそんなだから、人の書いたものも、信用しづらいのだ。

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