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映画日記 『戦場のメリークリスマス』40年ぶりに観ても変な映画だった

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約40年ぶりに映画館で『戦メリ』を観た。最初に観たのは、大学生の時だ。公開日に仙台の映画館だった。松竹だったか。仙台の松竹はかなり大きな映画館だった。それが満員になっていた。

私は中学生の頃からデヴィッド・ボウイのファンだった。中学高校時代は、ボウイのファンなんて、周囲に一人もいなかった。ボウイはキワモノで、ボウイ・ファンの私も変態扱いされていた。地方都市なんてそんなものだ。

ボウイに対する風向きが少し変わったのは、1978年のNHKのヤング・ミュージック・ショーで来日公演が放映されてからだ。それから徐々に通向けのアーチストという認識が、広まっていったような気がする。

『戦メリ』は公開前から話題満載で盛り上がっていた。デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビート武、そして問題作ばかり撮る世界的な巨匠?大島渚の組み合わせが、なにかとてつもないことのように喧伝されていた。

公開直前になると、カンヌ映画祭でグランプリを獲るとか獲らないとか、撮影中、スタッフが居なくなった、死んでいるかもしれない、といった話題とともに、にわかにボウイの評価がスーパー・スター並みに格上げされた。嬉しいような腹が立つような、複雑な気持ちに私はなっていた。

坂本龍一にはさほど興味はなかった。私はYMOはそれほど好きじゃなかったのだ。その頃の私のアパートにはテレビがなかったから、漫才ブームもあんまり知らなくて、ビート武にも興味がなかった。

『戦場のメリークリスマス』が公開されたのは、1983年の初夏だ。映画の公開前に、『レッツ・ダンス』のシングルがラジオから流れ、映画の公開とほぼ同時にアルバム『レッツ・ダンス』が出た。正確な時系列は憶えていないが、そんな感じだから、やっぱり私は舞い上がっていた。

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映画公開初日に特にボウイに興味のない友人を誘って、観に行った。映画は、よくわからなかった。私は化粧を施された坂本龍一の顔を観て、噴き出してしまった。何度もゲラゲラ笑ってしまった。

私にはこの映画が、坂本龍一が演じる役を笑いものにする、コメディのように見えたのだった。内田裕也も不自然だった。三上寛も内藤剛志も 本間優二も下手糞だった。デヴィッド・ボウイは、デヴィッド・ボウイだった。特に演技をしているという印象は受けなかった。

そもそもヨノイ大尉という名前は、日本語を聞き間違えたのではないのかと思った。(しかし、原作者は日本語を多少話せる人だと、あとから知った。だから、聴き間違いではないようなのだった。)

隣に座った友人は、私が笑うたびに、声を出すなというふうに、私の腕をひっぱったり、叩いたりした。途中から私も神妙にして観ることにした。他の観客たちはみんな神妙に観ていた。

映画が終わったあと、私と友人は顔を見合わせ、なんじゃこりゃ、って顔をしたのだった。他の客もそんな感じだったと思う。みんな戸惑った顔をしていた。

戦争映画かと思ったら、ホモっ気丸出しの映画だった。こんなんじゃ、カンヌ映画祭でグランプリ獲れなくて当たり前だよね、と帰り道に友人と語り合った。へんちくりんな映画を見せられたなあという印象だった。期待していたものと違ったし、想像をはるかに越えて、おかしなものを見せられた、というのが、私たち二人の共通した感想だった。

私が大島渚の映画を観たのは、『戦メリ』が初めてだった。大島渚の映画を知っている人たちが何かを言ったり書いたりしていたけど、私には理解できなかった。

その後、『戦メリ』のビデオを借りたこともあったが、早送りして、まともに見たことは一度もなかった。だから、ちゃんと観るのは、1983年以来だ。

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アップリンク吉祥寺の事情で、4Kではなく、2Kでの上映だった。画像は、やっぱりパソコンで予告篇を観たときの方が、鮮明で、美しかった。アップリンクのスクリーンは、明るさが一段、おっこちて、暗く見えた。なんでだろうか? 上映が下手糞なんじゃないか、と思う。

『戦メリ』は、やっぱり、おかしな映画だった。40年前のように退屈することはなく、今回は興味深く観ることが出来た。それは私に、大島渚の映画に対する免疫が出来ていたからだ。40年の間に、私も大島渚の映画を何本か観て、大島映画の作風に少しは慣れていた。

それでもやっぱり、坂本龍一にゲラゲラ笑ってしまった。なぜか周囲は今回も真面目に観ていた。客席は私くらいの年代が中心で、9割かた埋まっていた。私は何度も噴き出してしまったのだが、周囲は、あんまり、というか、誰も笑っていなかった。なんでだろうか……。

私の隣に座っていた若いお兄ちゃんは、鼾をかいて寝ていた。40年前の仙台の映画館で、友人につっつかれたことを思い出して、足を組み替えるふりをして軽く蹴とばして、起こしてあげた。

やっぱり坂本龍一の音楽は最高だった。ビート武も秀逸だった。しかし、デヴィッド・ボウイの良さが出ていたのかといったら、結構、疑問だ。映画の出来不出来は別にして、『地球に落ちて来た男』や『ジャスト・ア・ジゴロ』の方が、ボウイの魅力が引き出されていたと思う。

そして、40年前は気にならなかったが、腹切りや神道や恥といった日本的なるものを、こんなにも詰め込んでいたのか、と、少し驚いた。まるで外国人向けのパッケージ商品みたいだな、と思った。

あとやはり今回も気になったのが、大島渚の独特な映画の作り方だ。とくに観ていて空間把握が出来ないのにはストレスを感じた。どのシーンも、部分だけを切り取って撮影されているので、位置関係が理解できないから、空間の全体像がつかめない。間取りが不明なのだ。

通常の映画やドラマだと、ドアが映って、次に室内が映ると、ドアを開けた内部の部屋なのだなとわかる。ところが、この映画では、そうはならない。
全く別の場所のように見えてしまうのだ。

例えば本間優二が、独房に入れられているボウイを襲いに行くシーンがある。施錠された玄関のカットがあって、次に、ボウイの寝ている部屋に行くのだが、これが建物の内部ではなく、まるっきり別の場所に見えるのだ。繋がっている感じがしないのだ。

映画の終盤の方で、ボウイとトム・コンティが閉じ込められていた場所も、塀のような壁があるだけで、その空間が何なのか、一目では、理解できないのだ。セリフの流れからやっと隣り合った独房なのかなと了解するが、画面だけでは、室内にすら見えないのだ。

極端なハナシ、室内なのか野外なのかも、この映画の画面では、区別がつないのだ。つくり手が強引なのか雑なのか、無神経なのか、わからないが、通常だったらこんな撮り方はしないだろうし、こんな繋げ方はしないだろう。

屋内も屋外も同じ色調に見えて、光の違いを感じないのは、この映画が採用していてた減感撮影という撮影方法にも原因があるのだと思う。

例えば、天気の良い日に静止した風景を写真に撮る際には、通常は感度100のフィルムを使う。それが曇り空の下で、空を飛んでいる鳥を撮ろうと思ったら、感度400とか800のフィルムを使う。ところが、感度800のフィルムを入れたのに、空が晴れて太陽が顔を出してしまったら、フィルムの感度が高すぎて、どんなにシャッター速度を早くしても、光の量が大すぎてしまう。

そんな時には、カメラについているダイヤルを切り替えて、感度を200とかに減感にする。現像に出すときに、200に減感したと告げなければならないが、そうすれば、写真は適正な明るさで出来てくる。ただ、そうやって減感した写真は、コントラストが目立たなくなり、メリハリのないべたーっと写真になりがちだ。

以上は写真のハナシだが、映画のフィルムでもそんなに差はないと思う。詳しいことはわからないが、この映画は減感撮影されたのだという。狙い通りの効果が得られた画面になったのかは、調べたけれど、わからなかった。

私が見た限りでも、独特の色合いの画面になっていたから、効果が出ていることは確かだ。いいか悪いかはわからないが、私は、結構、好きな色合いだ。ただ、そのせいで、光の具合に差がなくなって、屋内も屋外も区別がつかなくなったような気がする。

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この映画は、捕虜収容所が舞台になっている。私たちが一般的に抱いている捕虜収容所のイメージは、人が閉じ込められている牢屋のような建物だ。ところがこの映画に出てくる収容所はまったく違っている。温室を転用した出入り自由の解放病棟のように見えるのだ。もしかしたら施錠された密室なのかもしれないが、そういったところも、よくわからなかった。

こういう不明瞭な部分が多いと、映画そのものが、リアルじゃなく感じられてしまう。太平洋戦争における日本軍の考証的なものも、ユルイのではないかという疑問を、今回も感じた。そもそも映画のつくり方、文法が、大島渚は、独特で、おかしいのだ。

前の方でも書いたが、1983年の『戦メリ』以降、私は大島作品を10本弱、ビデオで借りて観ている。だから大島の作風に、すこしは免疫が出来ている。大島渚は、劇映画を撮っていながら、映画的な常套手段を無視したり、芝居のあるドラマを否定したりする、ある意味、前衛映画の監督だった。その割に『戦メリ』は、普通の劇映画に近い、おとなし目の作品だった、と今なら思える。

しかし、やっぱり、ジャック・セリアズ(ボウイ)の回想シーンは、全体の流れから浮いて不自然だし、ラロトンガのロケのシーンと繋がりが悪いと思う。弟の存在も、後から障害がある設定であることを知ったが、今回見ても、そのあたりの関係はわかりづらかった。でもそういう、力づくで解りづらいところが、大島映画の魅力なのだと思う。


映画は不思議なものだ。ビート武の顔面アップで放たれる「メリークリスマス、ミスター・ローレンス」というセリフと、坂本龍一の音楽がかぶさってくるラストシーンでは、前後の脈絡とは、おそらく関係なしに、感情がこみあげてきて、感動してしまう。このラストシーンだけで、この映画は名画になってしまった。


この映画に関して、戦勝国が主導する軍事裁判の矛盾を告発しているとか、朝鮮人差別の問題を提起しているとか、同性愛の問題に深く切り込んでいるとか、トラウマを乗り越える物語だとか、反戦映画だとか、いろいろ言う人がいるが、メッセージは、「メリークリスマス」以外、特にないと思う。

坂本龍一の音楽はとても素晴らしいのだけど、最後に、先日、亡くなっちゃった高橋幸宏の曲を取り上げたい。この映画の「メリークリスマス」に込められた思いを的確に表現して歌っていると私は勝手に思っている曲だ。

高橋幸宏 「神を忘れて祝へよx`mas_time」


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