映画日記『焼け跡クロニクル』子供はいつでも希望の宝だ
2022年3月11日に書いた文。
原まおり/原将人・監督 『焼け跡クロニクル』
監督の原将人は、非商業系の作品を作り続けている映像作家だ。モチーフにするのは、プライベートなものが多いらしいが、私は8ミリ映画、自主映画の人、みたいなイメージで捉えていた。私が唯一観た原作品は、商業映画の広末涼子の映画デビュー作『20世紀ノスタルジア』だけだと思う。内容はあまり憶えていない。
つい、先日、昼間のテレビで、原将人のドキュメンタリーをやっていて、それを観て、原将人の存在を思い出したのだった。またこれもたまたまなのだが、その前後に、年上の友人と、電話で話している最中に、原将人の名前が出て来たのだ。そうしたら、吉祥寺のアップリンクに原将人の新作かかることになった。それなら見ないといけないなと思って、観てきたのだった。
平日の昼間だったせいか、58席ある会場に私も入れて5人しか客がいなかった。ちょっとさびしかった。
この『焼け跡クロニクル』という映画は、原一家の日常を撮った作品だ。ジャンルでいうと、ドキュメンタリー映画になるのだろう。登場人物は、原まおり、原将人夫妻と、その長男、双子の娘、まおりの母くらいだ。
当然、原家がどんな家なのか、どんな家族なのかは、私は知らない。夫の原将人は70過ぎくらいのどちらかというとおじいちゃんで、妻のまおりは、将人の娘くらいに若く見える。長男は高校生だが、年の離れた、保育園に通う双子の妹がいる。でも子供達はみんな、父にも母にも顔が似ているから、血は繋がっているのだろう。この5人の家族構成も、ちょっとイレギュラーな感じがして、下世話な興味もそそられて、映画にすぐに引き込まれた。でも、強制的に、知らない人の家の中を覗かせられるのだから、かなり変な体験だった。いや、大抵のドキュメンタリーはそういったものか…。
原将人の住む家は、2018年の夏に、漏電が原因で全焼している。その家には、大量のフィルムなどが置かれていたようだ。焼け出された家族は直後から、近所の公民館に住んだり、家具付きのアパートに住んだりして、一年後に一軒家に引っ越したりと、転々とする。ほとんど難民のようだ。その転々としていた日々を、子供を中心に撮影して、過去の映像とも組み合わせて、一つの作品にしたのが、この映画だ。
現在の原一家は、引っ越した一軒家で暮らして、一応、安定しているようだ。映画の中では、終の棲家が見つかったというような表現がされていた気もする。最後の方に、室内外にペンキ塗りしているシーンもあったから、借家じゃできないよな、とか思った。
妻のまおりが、火事場に駆けつけた時から、スマホやタブレットで映像を撮っている。その後も、撮影は続けられ、最初の2年くらいの映像は、ほぼまおりが撮影している。それは、原将人が被写体になっているからわかる。彼は火事の第一発見者でもあるし、火が上がっている家に入り、パソコンなどを持ち出している。その際、火傷を負っている。直後の痛々しい火傷の様子も、それが徐々に回復していく様も、まおりが撮った映像でよく伝わってくる。その後、自ら撮影に復帰した原の撮った映像と、焼け跡から回収した8ミリフィルムなども利用して、この映画が出来上がっている。
焼け跡は、更地になったりせずに、映画の最後までそのまま残っていて、フィルム等の回収作業を何人かの人が、原と一緒にやってくれていたりする。その際は、僅かに焼け残った柱に沿わせて、白木の柱が映ったりしていたので、倒壊しないように補強されてたのだろうと思う。焼ける前の家の映像があったら判りやすいと思った。
こういう映画は、ホームムーヴィーと言うのだろうか? 文章で表現すると私小説とか身辺雑記的なエッセイ、ということになるのだろう。しかし、コレは映像作品だ。文章なら著者に当たる原夫婦が、ともに被写体となって登場する。原将人は、ほぼ出っぱなしだ。しかも、二人ともカメラマンでもある。文章よりもカメラの方が共同作業になりやすい。逆に言えば、主体がどこにあるのかわからない。それが映像の強みだと思う。
カメラは、延々と、子供達を映す。長男はとぼけた表情をしているが、実に頼りになるし、双子の女の子達は、生命そのものといった感じで、この一家の原動力になっている。私は慣れていないせいか、映画を見ていて、子供の声が、個人的には、うるさいと感じてしまったのだが、彼ら家族には、なんともないようだった。家族だからなのか、子供のいる家庭がそういうものなのだからなのかは、子供のいない私には、わからない。きっと私が狭量な人間なのだと思う。子供が騒いでも、大人達は平静だし、むしろニコニコしている。
観ていて、原家が羨ましくなった。子供は宝なのだし、子供は救いなのだ。子供のいない私の家には、当たり前のことだが、子供を巡る過去の思い出は存在しないし、この先も、原家のようなドラマは生まれないのだ、と、なんだかうちひしがれて帰ってきた。私は、そういうひねこびた人間だ。それにしても、八ミリの映像は、どうしてこうも懐かしいのだろうか。