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読書日記『私デザイン』七彩夢幻の人

■石岡瑛子・著 『私デザイン』 講談社 2005


著者は世界で活躍するグラフィック・デザイナー、アート・ディレクターだ。1938年生まれで、2012年に73歳で亡くなっている。この本は、2005年に出版されている。私は古書店で入手した。

今から40年以上前に、Parco出版から出ていた『七彩夢幻』というモロッコあたりの民族衣装を撮った本があった。表現が変だが、色彩がしっとりと爆発しているような写真集だった。カメラが藤原新也で、そのアートディレクションが石岡瑛子だった。

石岡瑛子は、70年代は、国内でのパルコ関連の仕事が多く、80年代になってからは拠点をアメリカに移して、映画や舞台、イベントなどに仕事を残している。

この本は、その彼女が、自分の仕事を振りかえって、文章化したものだ。
彼女が関わった大きな仕事を、12個、時系列に並べて、エピソードを交えて、自分の仕事を書き記すという構成になっている。

自伝的な要素は少なく、しかし、仕事を通して出立った人たちとの交流は、意外に細かく描かれている。語彙も豊富で、いろんな意味で、豊かな人だったのだなと、感じる。

以下に目次を貼り付ける。


第1章―カンヌ国際映画祭芸術貢献賞受賞 映画「MISHIMA」
第2章―グラミー賞受賞 マイルス・デイヴィス「TUTU」
第3章―ニューヨーク批評家協会賞受賞 ブロードウェイ演劇「M.バタフライ」
第4章―「映像の肉体と意志―レニ・リーフェンシュタール」展
第5章―アカデミー賞受賞 映画「ドラキュラ(Bram Stoker's Dracula)」
第6章―ブロードウェイプロダクション「デビッド・カッパーフィールドの夢と悪夢」
第7章―オペラ「忠臣蔵」
第8章―オペラ「ニーベルングの指環」4部作
第9章―映画「ザ・セル」
第10章―ミュージックビデオ ビョーク「COCOON」
第11章―シルク・ド・ソレイユ「VAREKAI」
第12章―ソルトレイク冬季オリンピック


目次を見ただけで、石岡瑛子の仕事の全体像が見えてくるようだ。私は知らなかったが、マイルス・デイヴィスのアルバム「TUTU」や、ビョークのミュージック・ビデオの「COCOON」も、石岡の仕事だったようだ。

彼女が、アメリカ経由でやった最初の大仕事が、映画『MISHIMA』の美術だった。海外では1985年公開の映画だ。監督が、ポール・シュレイダーで、制作にフランシス・フォード・コッポラやジョージ・ルーカスが名を連ねていた。作家三島由紀夫の伝記的な映画で、スタッフはアメリカ人、役者は全員日本人、会話は日本語で、撮影も日本で行われた。

映画化の権利は、三島の遺族からちゃんと買って制作されたのだが、三島を同性愛者的に描写していると遺族からクレームがついたとか、右翼が抗議しているとか、そんな理由で日本では公開されなかった。

当時、かなり話題になった映画で、私は観るのを楽しみにしていただけに、公開中止はショックだった。この映画は、いまだに日本未公開のままだ。確かカンヌ映画祭に出品されたことまでは、報道されていたと思う。が、その後は、まともな報道はなかったような気がする。

本書によると、当時の日本の報道が、制作サイドに非協力的どころか捏造報道までしていたと書いてあって、驚いた。時代的に『戦メリ』の2、3年あとだったから、盛り上がるものと思っていたが、まともな情報が全く入ってこないことに、当時の私は苛立っていたことを思い出した。

この本を読み始めると、冷徹な状況分析的な文章と、過剰とも思える自己アピールと、不必要とも思える過度な謙遜とが入り混じっていて、石岡瑛子が一筋縄ではいかない人物であることがすぐにわかる。ただ、ゴシップ的な記述と芸術論が同居していて、読み進めるのが、ちょっとしんどくなる。

でも、それがかえって、世界を舞台に表現をする人の、典型的なタイプのようにも思えてくる。それくらい、押しが強く幅が広くなくては、やっていけないのだろう。

晩年は、テレビの密着ドキュメントなどにも石岡瑛子は取り上げられていた。これが健康法だと言って、前屈して、上半身をぴったりと足に密着させていたシーンを思い出す。

その番組を見てから、訃報まで、1、2年、間があったのか、すぐだったのか、思い出せないが、急に死んでいなくなった印象がある。こういう本が出ていることを知っていれば、もっと早く読んでいたのに、と、少し後悔している。

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