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読書日記 三浦英之・著『太陽の子』ノンフィクションとフィクションの間



1 三浦英之の本をまた読んでしまった


三浦英之の本をまた読んだ。今回は、『太陽の子』集英社だ。前回の『牙』の感想文でも書いたが、著者は朝日新聞の記者で、2010年代の数年、アフリカに特派員として赴任していた。

この本は、そのアフリカ時代に取材を始めて、その後、数年かけてまとめられたものだ。当時、著者のtwitter(現X)に寄せられた投稿が発端になっている。

それは、「1970年代、コンゴ(旧ザイール)で鉱山開発にあたった日本企業の社員たちが、現地の女性との間に何人もの子供を作った。その赤ん坊は、日本人医師と看護師により毒殺されていた」というショッキングな内容の投稿だった。

その話は、フランスのテレビ局であるフランス24に取材され、ほぼ事実として世界に動画が配信されていた。その後、BBCもほぼ同内容の記事を配信するようになる。

なんだかよくわからないが、ビックリするようなハナシだ。朝日新聞というよりは、東スポが扱うバッタネタのように思える。

でも著者は朝日新聞の記者だ。読者の興味を面白おかしくそそるような記事を書くのではなく、事実がどうなのか、しっかりと調査することにした。

この最初の時点で、読者の私が考えたのは、毒殺はともかく、置き去りにされた子供かいるのだろうなということだった。

海外に赴任している日本人が、現地の女性と男女の仲になって、子供が出来るということは、現実にあるハナシだと思ったのだ。

そして、相手が先進国の女性だったら、おそらく結婚して、子供も一緒に日本に連れ帰ったかもしれない。しかし、相手の女性が発展途上国の人だったり、この本のようなコンゴの一庶民だったら、女性も生まれた子供も、置き去りにしたかもしれないなと思ったのだ。

実際に、フィリピン残留孤児の例もある。



帰国した日本人の男達は、その後、日本で家庭を作っているだろうし、もしかしたら、妻子がいたまま単身で赴任していたってこともありうる。だから奥さんや残留孤児の問題は、シビアな問題になるんだろうなと思った。

一方で、フランス24の問題は、簡単だと思った。



相手は報道機関なのだから、しかるべきルートを通して、正式に問い合わせをすれば、バッタモン情報なのか、まともな調査情報なのか、動画の内容の真偽もすぐに判明すると思ったのだ。

個人では難しいかもしれないが、朝日新聞の肩書を使えば、どうにでもなるような気がした。

本書によると、後にこのハナシは、BBCのサイトでも記事化されて、医師による殺人があたかも事実であるかのように、ネット上で長らく公開されるようになる。

これに対しても、相手は天下のBBCなのだから、普通に問い合わせればいいのだと私は思った。

そう思って読み進めたら、著者は、なぜか、フランス24の報道の真偽を確認するという行動はとらずに、現地調査にだけ邁進するようになる。

その結果、コンゴには、数十人の日本人残留孤児がいて、彼等を支援している日本人が現地に二人いることがわかる。医師による毒殺疑惑は、事実無根のでっち上げだったこともわかった。

現地の支援者を案内役に、著者は残留孤児たちに直接会いにゆき、1970年から80年当時の、コンゴでの、鉱山開発に従事した日本企業のこと、赴任した日本人男性と現地の女生との関係、生まれた子供達の詳細を明らかにしていく。


2 フィクションのような意図的な操作を感じてしまった


本書を読んで、日本の高度成長を背景に、コンゴに地下資源を求めた企業が、1000人単位で赴任して鉱山経営をしたが、政情不安を契機に撤退して、その際に、現地妻と子供を置き去りにした事実があったことがわかった。


フィリピン残留日本人の戸籍回復などは、遅々としながらも、行政を巻き込んで進んでいる。コンゴ残留日本人に関しては、完全に手つかずだ。だから、本書がその詳細を明らかにした意義は大きい。

しかし、本書の発端となったフランス24とBBCに関しては、著者はほとんど自ら動いていないのだ。一応、朝日新聞社の中で企画を出したが、見送られたとあり、それで個人で動くことしかができなかったと書いているのだが、そういう問題なのだろうか。

他にやりようがあったと思うのだ。そこが私には腑に落ちないし、大きく疑問に感じるところだった。

『牙』のときと同じ肩透かしを、また、された印象なのだ。目次の8あたりに書いたことが繰り返されているような気がするのだ。


その後、現地の日本人支援者の一人が、フランス24とBBCに抗議をして、その結果、BBCからは記事が削除されている。その経緯を著者は、一人の民間人が天下のBBCの記事を削除させた、と褒めたたえているが、なんだか鼻白むのだ。朝日新聞の記者だったら、もっとやれるだろうと思うのは、私が間違っているのか?

これまで知られていなかった、コンゴの残留日本人孤児に光を当てたことに、本書の意義があるとすれば、それに徹底すれば良かったのだと思う。

著者は良心的な人らしいから、現地の子供たちをなんとか救済しようとしたのだと思う。でも一人の記者の力では、現実を動かすことが出来なかったようだ。ノンフィクションなのだから、自分の心の葛藤や挫折も、加工せずにそのまま書けばいいのだと思う。

ところがこの本は、最後に安っぽいハナシでまとめてしまったような気がするのだ。うまく表現できないが、ノンフィクションというよりは、意図的な操作のようなものを感じてしまった。その結果、中途半端な小説を読まされた気になるのだ。

3 プロの書評に感心してしまった


モヤモヤした気持ちのままでネット検索していたら、松尾潔という人のこんな記事を見つけた。


私などは文句をあげつらった印象感想文しか書けないのだが、松尾潔は、三浦の文の特色を指摘しつつ、コンゴ残留日本人の問題を、短い文章で、的確にまとめている。プロの書き手の書評とは、こんなふうに書くのだなと感心させられた。

松尾潔の文章は「三浦英之著「太陽の子」、この書き手は愚直なまでに「ペンは剣よりも強し」を信じている」という題だ。それだけでも、この本や著者の志を表現していて、説得力を感じる。

最初にジャーナリストとしての三浦のことを紹介しつつ、その文章技術を褒めている。二か所、引用してみる。

「『太陽の子』でも書き巧者ぶりは遺憾なく発揮されている。アクロバティックな印象さえ与える筆致はときにミステリー小説を思わせ、評価の分かれるところかもしれないが、高いリーダビリティの理由でもあるだろう」

「著者の立つ場所においては、ノンフィクションとフィクションは「まぜるな危険」の関係。フィクションは徹底的に排除される。あくまで取材に基づくファクトから高純度のドラマティックな要素を抽出し、丹念に調合していく細やかさが求められる。三浦さんはその手際がもう超絶技巧レベルなのだ。」

その後、松尾潔の文章は、私が『太陽の子』で気になったところには、まったく触れずに、本書の肝であるコンゴ残留孤児問題について、短い文章で的確にまとめ上げている。お金を取るプロの書評ってこんなふうに書くのだなと感心しつつ、これはこれで高度な技術であり、同時に騙されたような気持ちに、私はひねくれるのだった。

PS. ところで、松尾潔という人は、文も書くけれど、本業は音楽のようだった。

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