映画日記 『ボーン・シリーズ』を見て、『コンドル』を思い出した。
私はかなりの腰痛持ちで、普段は細心の注意を払って、ぎっくり腰になる一歩手前でとどまっていたのだが、今回は気が抜けていたのか、くしゃみが三連発も出て、三発目でぎっくり腰になってしまった。
ぎっくり腰の時は、寝込んだりすると、腰が固まって痛みが長引くので、早い段階で歩いたり体を動かした方が、治りも早い。
それが医学的に理にかなっているのかどうかはわからないが、私の体験上ではそうなっている。
そうなっているから、動こうかと思ったら、今回はどうも鼻水が出る。頭も痛いし、体中の関節も痛い。くしゃみも繰り返すし、いつの間にか咳になってきた。
体温を測ったら発熱していた。コロナ禍以降、数年ぶりに風邪をひいてしまった。弱り目に祟り目ってやつだ。なんだかな、だ。
結局、三日間ほど家の中にいた。ちゃんと眠っていたのは、最初の一日だけで、二日目、三日目は、目が覚めて困った。
せっかくだから、テレビで映画を見ることにした。いつものネットフィリックスだ。見たというより、垂れ流していた。音が大きいと頭にガンガン響くから、抑えめにした。頭の中は、ぼうーっとして、ストーリーなんか頭に入って来ない。
半分以上寝ている感じだ。そんなことまでして映画を見る必要はなにのだけれど、なんだか貧乏性なのだ。
今回、ダラダラ見た映画の中で、一番印象に残ったのは、「ボーン・シリーズ」の最初の3本だ。マッド・デイモン主演のジェイソン・ボーンのシリーズだ。以前も見ているのだが、やっぱりとても面白かった。熱で浮かれた頭で見ても、夢中になってしまった。
映画のボーン・シリーズは、マッド・デイモンが出演していないのも数えると、全部で5作あるらしい。第1作の「ボーン・アイデンティティー」は2002年の公開。第2作の「ボーン・スプレマシー」は2004年。第3作の「ボーン・アルティメイタム」は、2007年。ここまでが、今回、見た3本だ。
第4作の他の人が主演している「ボーン・レガシー」は、2012年の公開だ。第5作で、またマッド・デイモンが出ている「ジェイソン・ボーン」は、2016年の公開だ。
こうして公開年を並べると、1〜3までは、なんだかんだで20年も前の映画なんだと知って、ちょっと驚いた。
そういえば、3までの映画の中に、スマホは出てこなくて、みんなが使っているのは二つ折りのガラ携帯だったし、決め手になる証拠は、紙の文書で金庫に仕舞ってあったり、ファックスで送信したりしていた。
その割に、パソコン万能時代に突入していて、捜査の大半は、捜査本部のある部屋でパソコンを用いて行われ、街角にある監視カメラを遠隔操作したりして、人探しに使われている。しかし、人物の特定作業は、ソフトによる顔面一致ではなく、目視だった。
主人公のジェイソン・ボーンは、CIA傘下の秘密組織の一員だ。彼が担っているのは、アメリカの国益に反する人物の暗殺だ。しかし、ある時、任務遂行に失敗して、記憶喪失になる。
その結果、今度はCIAに追われる羽目になる。自分が何者だかわかならないのに、殺されそうになり、しかし驚異的な戦闘能力で生き残って行く。というのが、このシリーズの大枠だ。
現在、元特殊部隊員が、昔取った杵柄で危機を乗り越えていくパターンの映画は、腐るほど量産されているが、それの決定版になった映画が、ボーン・シリーズなのだと思う。
ボーン・シリーズを見ると、いつも思い出す映画がある。1970年代の半ばに公開された『コンドル』という映画だ。
『コンドル』は、CIAの傘下の、文書係みたいな機関が絡んだ作品だった。そこでは、雑誌や小説を読んで、文書に描かれているのが想像の産物か、あるいは関係者以外知りえない事実をもとにしているのかを、判断して、守秘義務?に反しているものを発見、報告する、ってことを仕事にしていた。
報告されたら、書いた人は、きっと検挙されたりするのだ。
その機関の新米職員が、昼休憩から戻ってきたら、他の職員が全員殺されていた。そこから彼の生き残るための闘争が始まる。そんな映画だった。
主演はロバート・レッドフォードで、相手役がフェイ・ダナウェイで、監督はシドニー・ポラックだった。原作本は「コンドルの六日間」というタイトルだった。
映画を見てから、本を買って読んだ。小説はいまいちで、映画の方がずっと面白かった記憶がある。
当時、中学生だった私に、アメリカにはCIAなんていうすごい情報組織があって、国家の機関なのだけど、陰でなにをやっているかわからないのだと、『コンドル』という映画で強烈に印象付けられたのだった。
CIAは、国の機関なのだが、国家の名のもとに違法なことを平気でやっている秘密警察みたいなものなのだ。なんておっかないんだろうか、と私は思ったのだった。
『ボーン・シリーズ』のCIAも、やっぱり何をやっているかわからない、おっかない組織だった。『コンドル』と『ボーン・シリーズ』の間には25年くらいの開きがあるが、CIAのイメージはあんまり変わっていないのだ。
大きな違いと言えば、アクション・シーンのあるなしだろうか。
『コンドル』のレッドフォードは文系の優男で、肉弾戦には向いていなかったが、マッド・デイモン演じるジェイソン・ボーンは、超人的な身体能力の持ち主で、『ボーン・シリーズ』には格闘シーンとカーアクションがふんだんにあるのだ。
パルクールやハイスピードのブラジリアン柔術的な要素も盛り込んだ格闘シーンは、迫力満点で、今見ても画期的だった。
カーアクションでは、『マッドマックス・シリーズ』と同じくらいありえないことをやっているのに、現実に起こっているかのようなリアルさ感じさせられた。妙な説得力があるのだ。
『ボーン・シリーズ』の格闘シーンもカー・アクションも、見ているこちらには、考えるスキを与えないほど目まぐるしく、テンポが速いのだが、ギア・チェンジなどのカットが、要所要所に、まるで見得を切るみたいにインサートされて、こちらの脳裏に残るのだ。一瞬の映像が記憶に残るせいなのか、現実にありえた場面のようにリアルに感じるのだった。
『ボーン・シリーズ』の原作はラドルムだ。昔は新潮文庫や角川文庫でラドルムの小説がずらりと出ていた。単行本でも出ていたかもしれない。
そうそう、ロバートだ、ロバート・ラドルムだ。『ボーン・シリーズ』の1作目の『ボーン・アイデンティティー』の日本語タイトルは「暗殺者」とか「殺伐のオデッセイ」とかだった気がする。
そもそも2000年代に入って、映画化されてから、「暗殺者」の原題が、「ボーン・アイデンティティー」だったと知ったのだった。
小説の方は、映画と違って、ちょっとこみいっていて、わかりづらかった。時代設定もベトナム戦争からそれほど経っていなかったし、確かボーンが、カルロスっていう敵と対決するハナシだった気がする。
私がラドルムを読んでいたのは、1980年代のことだ。どれもダラダラと長ったらしくて、行き当たりばったりの展開で、大して面白くないのだが、それなのに熱病に犯されたような感じで、私はラドルムを読んでいた。あの頃は、私も若かったので、長い小説を、最後まで読むことが出来たのだ。
そうそう、内藤陳の冒険小説協会が「暗殺者」を外国部門の大賞に選んだのだ。それが切っ掛けで読んだのだった。
同じ年の日本の小説の大賞は、船戸与一の「山猫の夏」だったか。しかし、古いなあ…。だから、『ボーン・シリーズ』は、映画の方が、原作小説よりもずっと出来が良かった。
いつものように、ハナシがそれまくっていくるが、映画の『ボーン・シリーズ』では、パソコンやネットがやたらと駆使されるけど、最後の決め手は肉弾戦で、実はアナログなのだ。
画面も最近の映画のような合成した感じも少ないのだ。20年前の映画だから、まだフィルム映画のような気がする。
『ボーン・シリーズ』は、見ていて単純にスカッとするし、人間のドラマにしんみりもするので、お手軽に、映画を見たなって感じがするのだ。それと、多分、アナログな質感が自分にはしっくりくるのだ、と思う。
などと書いてみたが、『ボーン・シリーズ』がアナログだったのかは、確証がない。今は、デジタルでフィルムっぽく見せる加工だって簡単に出来ているのだろう。
第4作の「ボーン・レガシー」と、第5作の「ジェイソン・ボーン」は、まだ見ていないが、絶対、スマホが駆使されているのだと思う。それは当たり前だとして、画面の質は、フィルムっぽいのだろうか? 近日中に見てみようと思う。