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映画日記 『ザ・ユニオン』エロやグロで視聴率を稼ぐ時代は終わったのか?





配信で映画やドラマを大量に見ている。でも、大抵、三〇分くらいでリタイヤしている。飽きてしまうのだ。それ以上、見ようという気持ちがなくなるのだ。私は選り好みが激しいというより、許容範囲が狭いのだ。

一応、見たい映画は映画館で見ることにしている。映画館では、どんなにつまらなくても、途中で退席などせずに、最後まで椅子に座っている。これは、義務感でもないし、お金を払ったという損得でもなんでもなく、単に暗いなか、退席するのが面倒だからしないだけだ。

例えば、先日は『箱男』を見た。退屈だったけど最後まで椅子に座っていた。

ところが配信だと、見るのも手軽だが、止めるのも手軽だ。だから、5本に4本くらいは、途中でやめてしまう。いや、もっと数が多いかもしれない。

以前、配信で見る際には、①途中で静止画にしない。②早送りをしない。③途中で部分的なリピートをしない。④残り何分かなどの時間を確認しない。といった自分なりの決まりを設けてみた。その決まりは守っている。

が、最後まで見る、という決まりは作らなかった。そのせいだろうか、途中で見るのをやめてしまうことが圧倒的に多い。

三〇分も見れば、大抵の作品のその後のトーンはわかってしまう。あるいは、それ以上見続けるのがしんどくなる。今の私には、我慢して見るだけの精神力も体力もないのだ。例えば、『箱男』など、配信だったら一〇分も見られない気がする。

そんな中で、最後まで見られる作品もある。大抵、しょうもない映画だ。見終わった後の満足感もほとんどないような作品に限って、最後まで見ていられるのだ。

大抵、テンポが速いアクションものだ。わかりやすくて、それでいてコメディの要素もある作品が多い。でもって、洋画ならだいたい字幕を見る必要のない吹き替え版だ。

そんな感じで、昨夜、最後まで見たのが、『ザ・ユニオン』という映画だ。



主人公は、アメリカのニュージャージー州に生まれて育って、現在もそこに住んでいる独身の中年男だ。母親と同居していて、中年になった現在まで、小学校や中学校や高校の時の人間関係をそのまま維持している。

仕事は建設関係の職人だ。その男は現状に満足しているように、最初は描かれていた。彼なりに過不足のない生活を送っていたのだ。

なぜか、性交渉の相手は、男が中学の時の女性教師だったりする。男が四〇代後半だとしたら、女性教師はそれよりもかなり年上に見えた。

朝を迎えたあと、男が階下に降りてゆくと、女性教師の息子が朝食を食べている。男はその息子とも顔馴染みで、その息子もいい年齢の大人なのだ。このあたりの感覚は、私にはよくわからないが、ほのぼのとして笑えるのかもしれない。

欧米の映画やドラマを見ていると、中高年もよくセックスをしている。一体、何歳まで元気なんだろうか? メンドくさくないのだろうか?

主人公の出身地のニュージャージー州について私が知っていることといえば、ニューヨーク州の隣に位置していて、ブルース・スプリングスティーンやパティ・スミスらを輩出した土地だということぐらいだ。

二人の自伝『ボーン・トゥ・ラン: ブルース・スプリングスティーン自伝』や『ジャスト・キッズ』を読むと、ニュージャージーは、結構な田舎として描かれている。


特にスプリングスティーンは、郷土愛が強く、音楽で成功してからも、地元の友人達との付き合いを、そのまま続けていることが書かれていた。例えば自動車の修理工などと一緒にツーリングに行ったり、キャンプ旅行をしたりしているのだ。

『ザ・ユニオン』の主人公は、この自動車修理工みたいな存在なのだと思う。ひとことで表すと、冴えない普通の男だろうか。

その冴えない男が、スパイ業界にスカウトされて、建設現場の高所作業などで培った特技を生かして、世界をまたにかけて、八面六臂の大活躍をするというのが、この映画だ。

なんだか日本でよくある異世界転生モノに近い。なんの取り得もない男が、別世界に転生して、大活躍するってパターンだ。だから、この映画は、冴えない中年男救済ファンタジーだ。

映画のラストまで、私はちゃんとテレビモニターの前にいた。だから見ている間は退屈はしなかった。では面白かったのかといえば、そうでもない。見終わったあとに、感動とか、そういう感情は全く起こらなかった気がする。

感動どころか感慨のようなモノも残らなかった。反対に、なんだ、これは?という、そんなに大きくもない疑問が残った。

なんかが引っかかるのだ。それで、ちょっと考えてみようと思って、この文章を書き出した。


主人公を演じる俳優は、見たことがあるけれど、名前は知らない。主演をはるくらいなのだから、有名な俳優なのだろう。Netflixで配信されたばかりだから、この映画も最近の作品なのだと思う。世界の複数箇所でロケをしているから、それなりにお金のかかった作品だ。もしかしたら、結構な大作かもしれない。(これを書いて、最後にYouTubeから予告を貼り付けて、予告を見直したら、相当な大作だった…)

冴えない男がどうしてスパイ業界にスカウトされるのかといったら、高校の時に付き合っていた女性が、現在、「ユニオン」という国際スパイ組織の一員として活躍していたからだ。

その「ユニオン」で、何か人手が足りなくなるような事情が起きて、即戦力になる人材が必要になった。そこで彼女が思いついたのが、昔付き合っていた男だった。

彼女が、二十年以上の時を経て、なんで、今更、高校の時付き合っていた男を適材だと思って、スカウトすることにしたのかは、ぜんぜん、わからなかった。

この映画は、観客が疑問を持つようなスキを与えない速いテンポで進むのだった。昔の「ジェイソン・ボーン・シリーズ」のような派手なアクション・シーンのてんこ盛りだ。そして主人公の男にも他の登場人物にも、葛藤どころか内面がほぼ描かれない。ボーン・シリーズとの大きなが違いは、内面のなさだ。

彼女も主人公と同様に内面がない。そして年をとっている。が、バリバリに仕事ができるし、結構な美人だ。映画やドラマの場合、男の見てくれは冴えなくてもいいが、女は、大抵、美人か、あるいは、一瞬で人目を引く要素を持っていることが絶対的な条件になっている気がする。

二人は高校時代に交際していたくらいだから、再会後はロマンスも再燃する。スパイ・アクション・コメディに、メロドラマの要素も加わって、至れり尽くせりの展開になる。

いくつかの危機を乗り越えて、二人は仕事を成功に導く。すでにどんなミッションだったか、私の記憶にはないが、とにかく二人の活躍のおかげで、世界の平和は保たれたのだ。

……思い出した、スパイのリストだ。そのリストが公表されると、「ユニオン」のメンバーは、困るのだ。多分、アメリカも困る。でも、主人公の男は困らない気がする。だから、今、考えると、郷土愛はあるらしいけど、愛国者でもなんでもない男が、スパイ業を頑張る理由が、一つもないような気がする。あえて挙げるとすれば、彼女の存在だ。なんだ、こりゃ、って感じだ。

事件が解決した後、主人公の男は、スパイ業を離れ、地元に戻っている。そこに彼女がやってくる。ラスト、男は彼女の誘いに乗って、またスパイ業に戻るのだ。新しい人生の地平を切り開くとでも言うような、前向きの選択として、それは描かれていて、そのようにして映画は終わる。

男の、それ以前の平凡な日常は破棄され、否定されたのだろうか? そのあたりのことが、私には、よくわからなかった。

映画タイトルの「ユニオン」とはどういう意味なのだろうか?

私には、ユニオンという言葉に労働組合のイメージしか浮かばなかったが、今、調べたら、二つのモノを一つにまとめる、という、「合体」とか「団結」の意味があった。

人間は、組合のような輪の中にいて、人間関係のつながりが大事なんだよ、とこの映画は訴えているのか、それとも冴えない男が派手な彼女と一つになった、めでたいよ、というのか、さらにそれとも、冴えない日常が非日常と合体するところを見せてやるぜ、という意味なのか、このユニオンというタイトルをどう解釈すればいいのだろうか?

見終わって、一体、これは誰のために作られた映画なのだ? という疑問が浮かんだ。これを見て、喜ぶ人はどういう人だろうか?

この主人公のように、冴えない中年男は、世の中にいくらでもいる。むしろ大多数といえる。そんな男が、実は超人的な能力を発揮する。そして、その能力は、とんでもなく人の役に立っているのだ。しかも、本人は大して努力しないで、持ち前の技能を当たり前にふるまっただけなのだ。

なんともあり得ないハナシだし、都合が良よすぎるハナシだし、荒唐無稽なハナシだ。

この『ザ・ユニオン』という映画は、これまでの、人間、努力をすれば報われる、という映画の作りとは、ちょっと違っているように思う。主人公はろくに努力をしないでも報われているし喜びを得ているのだ。

この映画に貫かれているのは、棚から牡丹餅を肯定するような感覚だ。それは従来、悪役とか敵役がモットーとしてきたことだ。基本的に善人であるはずの主人公とは、相いれなかった感覚だ。

少年ジャンプの三原則に「友情・努力・勝利」というのがあるが、この映画の場合、真ん中の努力がすっぽ抜けている。すっぽ抜けているから、見ている側は、そんなこたぁねえだろ、いくらなんでもご都合主義すぎるぜ、なんて思いながらも、どっかでニンマリしてしまう。このニンマリが、キモなんだと思う。

ニンマリだから、カラッとしていない笑いだ。公の、おおらかな笑いとは、ちょっと種類が違う。どこかにズルをしたような、後ろめたさがある笑いだ。でもそのニンマリには、してやったりって感覚も含まれている。

『ザ・ユニオン』は、観た者をそういう風にニンマリさせる、新しいといえば新しいパターンの映画のような気がする。でも、こういう映画には、高い評価が与えられない、と思う。どちらかというと、評価は低くなるのではないか? 私のように見る人の人数は多くても、評価はまるでされないのではないか。

言い換えてみる。これは映画だけど、視聴率は高いのだ。視聴率を手っ取り早く稼ぐ方法に、これまでは、エロとかグロがあった。同じネットフリックスだと、日本の『地面師たち』なんかは、未だにその手法を用いている。

でも、昨今は、裸やセックスは大ぴらに使いづらいのだ。そこで編み出されたのが、楽(らく)して成功する、あるいは、努力抜きの勝利というパターンなのだと思う。

映画の観客の大多数は、成功なんかとは無縁の、不特定多数の貧乏人、地味人間だ。『ザ・ユニオン』という映画は、そう人が見ても、スカッとしたり、ニンマリするように作られた映画なのではないか? 

本来、映画は大衆の娯楽だ。だから、きちんと娯楽映画に徹すれば、この映画も、高い評価を得られるような作品になったのではないか?  どう見たって、この映画の画面から伝わってくるのは、スタッフの質の高さだ。でも中身はB級、C級なのだ。それは、安易にエログロ、この場合は、努力抜きの勝利、に走ってしまったせいだからなのだ思う。

なんて思ってしまった。またしても身も蓋もない結論になってしまった。

でも、評価されないだろうと、予めわかっている映画を、A級映画を作って来たスタッフが、作れるものなのだろうか、って疑問も湧いてきた。きりがない……。 

ところで、女の人はこの映画をどう見るのだろうか?

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