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読書日記 タブレット純・著『ムクの祈り』 夜と朝の間の人 タブレット純



タブレット純・著『タブレット純自伝 ムクの祈り』(リトルモア)と言う本を読んだ。

この本のタイトルにあるムクというのは、犬の名前だ。

ちなみに私が「むく犬」というコトバを最初に覚えたのは、子供の頃、ピーターが「夜と朝の間に」という曲を歌っているのをテレビで見ていた時だ。歌詞の中に、むく犬というコトバがあり、母親に「むく犬」って何?と訊いたら、毛の長い犬だと言われたのだ。

当時、近所にやたらと飼われていたスピッツや、それよりも毛の長い犬を私は想像したのだった。その時はどうだったか憶えていないが、いつの間にか、私の頭の中のむく犬の色は白一色になった。それは「無垢な」とか、そんなコトバから後でこじつけられたイメージだと思う。


のっけからピーターの動画を貼り付けてしまったが、今回の主役はタブレット純だ。

この本はタブレット純の自伝だ。短いからすぐに読み終わる。でも中身は濃い。文章表現にもスタイルが出来ているし、語彙も豊富で、私小説のように読めて、感情をもろに揺さぶられる。著者は、色々な才能のある人だが、秀でた文才も持っているのだ。


タイトルにあるムクというのは、著者が子供の頃、家で飼っていた犬の名前だ。毛並みからつけられた名前だ。子犬の時は愛玩されたが、大きくなってからは、しつけもちゃんとしなかったのか、家族で持て余していたらしい。飼い犬なのに、家族の誰にもなついていなかったと記されている。

家は貧乏だったので、なんと、引っ越す際に置き去りにしたとある。少年だった著者には、それが心残りだったようだ。引っ越しの日に、ムクが著者を見つめた眼差しが、人生の転機のたびに脳裏に蘇ってきて、著者を苛むのだった。


タブレット純は、ピンのお笑いタレントで、歌手で、ムード歌謡評論家だ。芸人としては、ギターや自分で書いた独特の似顔を駆使して、昭和のAMラジオ時代に活躍した司会者たちの声帯模写や、自虐的なネタで漫談をやり、魅力的な低音で歌声も披露する。

歌手としては、1974年生まれなのに「和田弘とマヒナスターズ」の最後のリードボーカリストとしてデビューし、グループ解散後は、ソロでムード歌謡やGSを歌っている。ムード歌謡に関する著作も何冊かある。


本書を読むと、著者は男性が好きな同性愛者のようだが、女性を好きになったり、女性と同棲したりしているから、両刀使いなのだろう。

それにしても、両刀使いというコトバは、なんとも嫌な日本語だ。片仮名で、バイセクシュアルと書いた方がいいのかもしれない。

男が好きでも女が好きでも、著者はあまり積極的ではない。他者に対して積極的ではないのだ。そして、この本には、これまでずうっと受け身の人生を送ってきたように書いてある。しかし、本人の意識の上では受け身なのだろうけど、読者としては、受け身な印象は受けない。

著者の誰にも似ていない独特の佇まいと、ずば抜けた異才な能力があるので、著者は無意識のうちに周囲の他者を巻き込んで、実はまっしぐらに宿命的な人生を歩んでいるように読めるのだ。

大体、同性も異性もいけるということは、実は他人に対する許容量が大きいとしか考えられない。


タブレット純というのは芸名で、その他に田淵純という芸名もある。本名は、橋本康之と言う。1974年生まれだ。

1974年といえば、井上陽水の「氷の世界」が大ヒットした年だ。洋楽だと、日本ではウィングスやジョン・デンバーが流行っていた時期だ。

歌謡曲だと、ウィキの1974年を見ると、かなりの当たり年のように見える。

中条きよしの「うそ」
中村雅俊「ふれあい」
渡哲也「くちなしの花」
西城秀樹「激しい恋」
フィンガー5「学園天国」
沢田研二「追憶」
りりィ「私は泣いています」
グレープ「精霊流し」
山口百恵「ひと夏の経験」
郷ひろみ「よろしく哀愁」
山本コウタローとウィークエンド「岬めぐり」
梓みちよ「二人でお酒を」などといった昭和歌謡の名曲がずらりと並んでいる。

そんな頃に生まれた男の子が、少し大きくなって、AMラジオに夢中になって、ムード歌謡が好きになったという。

著者がAMラジオを聴きだしたのは、80年代だろう。日本だとアイドル歌謡が全盛で、しかし、Jポップというコトバは、まだ生まれていなくて、レコードの売り上げも、洋楽の方が、圧倒的に大きかった時代だ。

そんな時代に、ムード歌謡にはまる少年というのは、そこからして、並みの人とは感性や嗅覚が違っている。

著者の人生は、その後、紆余曲折を経る。その辺りは端折るが、大人になったある時、ひょんなきっかけから、著者が敬愛してやまない「和田弘とマヒナスターズ」のメンバーになる。

「マヒナスターズ」なんて、著者より一回り年上の私でも、懐メロでしか触れたことのないグループだ。

1950年代の後半から1960年代に活躍した、ハワイアン・バンドというかコーラス・グループだ。「誰よりも君を愛す」や「お座敷小唄」などのヒット曲がある。ウィキペディアによると、分裂したり再結成したりをくりかえし、2000年代まで続いている。

2003年くらいに、それまでのリーダーだった和田弘が、新メンバーを加えてマヒナスターズは再結成している。その際、リード・ボーカルとして加わったのがタブレット純だ。この新生マヒナの活動期間は短いが、この時、タブレット純は歌謡界にデビューしたことになる。

自分の父親くらいの人とグループを組むなんて、やはり他者に対する許容量が大きくないと出来ない気がする。

新生マヒナスターズが消滅した後は、ソロ歌手田淵純となって、シングルを出したが、まるで売れず、またしてもやっぱりひょんなことから、歌謡漫談のようなことをやり始める。それが受けて現在に至っている。


夜をまきもどせ~本牧ブルース 田渕純withペーソス 2012年4月8日

「夜をまきもどせ」は、著者のオリジナル曲だ。この動画には、なぜか編集者の末井昭などが参加している。著者はそういう人達に愛されているのだと思う。

私はテレビのお笑い番組で、タブレット純の存在を知った。その頃の動画が、YouTubeにたくさんある。マニアックなモノマネをやっているものと、数学の教科書をもとにしたネタをやっている動画を二つ、あげておく。

タブレット純の爆笑ものまね!懐かしの昭和モノマネ2013.8

タブレット純



普段は、生きていてスイマセンとでも言っているような感じで、常に隅っこに控えている。話す声もとてもか細い。常におどおどしていて、挙動が不審だ。しかし、ネタをやる時は、低音の太い声で早口になる。歌声も低音が魅力的で力強く、その落差が、驚きと笑いを誘う。そして、何をしていても、可愛らしく見える。

タブレット純をひことで表すと、異能の人だ。あるいは自虐の王子さまだ。

映像で見る限りでは、素がそういう人で、本人は何も作り込んでいないように見える。「おどおど」と「大胆」が自然に共存している人物だ。

しかし、この自伝のように、文章になると、さらけ出しているというよりは、少し作り込まれている印象を受ける。文章とはそういう風に機能するもののような気がする。それにつていは、いつかちゃんと考えたい。


本書を読むと、タブレット純の人生には、お酒が欠かせないようだ。お酒をあおってステージに立ったりしているし、十代の頃から、他人に合わせたり、世の中の仕組み合せなければならないときは、お酒の力を借りている。その意味では意外に古典的な酒飲みだ。

世の中の気の弱い人の中には、肝心な時にお酒の力を借りる人が結構いる。大抵、飲み過ぎて失敗したなんて話になる。ところがタブレット純の場合は、本人の認識ではお酒に頼って大失敗しているようだが、端から読むと、お酒の力で、要所要所を乗り越えているように見えるから不思議だ。これも他者に積極的でない割に、他人への許容量が大きいことと似ている。


ところでムード歌謡ってなになのだろうか? 私はそれに類するレコードを買ったことがないし、自分から選んで聞いたこともない。

昭和の歌謡曲の中の一つのジャンルなのだと思う。歌手が一人というよりも、複数の人がいるグループのイメージが強い。あ、フランク永井は一人でもムード歌謡だったか……。演歌とポップスの間だろうか。

ムード歌謡には、常にお酒が絡んでいる印象がある。スナックでカラオケで歌われる曲みたいなイメージだ。歌っている歌手は、スーツを着た大人の男だ。ムード歌謡の歌手は、大抵、実年齢よりも老けて見える。あるいは、20歳くらい若作りしたように見える。いずれにしろムード歌謡のリードボーカルは、年齢相応ではないのだ。

相応でないといえば、大の男が、女性人称で、女性の心を歌う歌詞のイメージがある。その内容は、失恋とか片思いとか不倫とかだ。

こうして書いてみると、ムード歌謡の男ボーカルは、まるで変態のようだ。それはただのヘンタイなのか、歌舞伎みたいな女形の伝統に連なるのだろうか? そんなことはないだろうけど、今のコトバで言うと、なりすましだ。

なりすましだから、胡散臭いしインチキ臭い。いかがわしさがプンプンにある。一目瞭然のカツラのようなニセモノ臭さだ。

ところが不思議なことに、タブレット純の場合は、そういったインチキ臭さがまるで感じられないのだ。

タブレット純は、ムード歌謡の歌詞の世界を、信じているというより、実践して生きているからインチキ臭さがないのだろう。それこそ、ピーターの「夜と朝の間に」生息しているような気がする。(二人とも低音の歌声が魅力的な歌手だが、タブレット純が「夜と朝の間に」を歌っている動画は発見できなかった…。)

だからタブレット純は、あっち側の人間だ。その意味では、マンガ家の楳図かずおと同種の存在感が匂っている。

ムード歌謡を歌うタブレット純も、お笑いネタをやるタブレット純も、カバーで激しい曲を歌うタブレット純も、浪曲を歌うタブレット純も、小声でラジオをやったり、すまなそうな佇まいでYouTubeチャンネルに登場しているタブレット純も、ムード歌謡批評も、どれもみんな素直なままのタブレット純なのだろう。

素直なままのタブレット純は、無垢なのだ。ムクの祈りという本書のタイトルは、本人の祈りなのだろう。って、なんだか急に底の浅い結論になってしまった。

最後に、激しく歌うタブレット純の動画を貼り付けておく。ジャックスの「堕天使ロック」のカバーをやっている。これがとってもかっこいいロックなのだ。

田渕 純 / 堕天使ロック


ついでにもう一つ、三波春夫の「俵星玄蕃」をやっている動画も上げておく。これは講談というか長編歌謡浪曲だ。この技術は相当なものだと思う。


タブレット純 長編歌謡浪曲 元禄名槍譜「俵星玄蕃」大熱演!の巻【タブレット純ちゃんネル】



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