『積極的に治さない瞑想箱庭療法』を読んで思ったこと
お気に入りの喫茶店で、大住誠・朝倉新著『積極的に治さない瞑想箱庭療法』2022、春秋社 を読んだ。
とても分かりやすい文章でぐんぐん読んだ。自然治癒力が生かされ、負担が少ないという意味がよく分かり勉強になった。著者の大住先生と朝倉先生の語り口も心地よく、何度も読み返したい一冊だ。
あとがきに、「本書の中に従来の『因果論』に則った科学的な方法への批判が多々出てきますが、筆者等は科学的な方法を批判しているのではなく、今日見られるそういった方法の行き過ぎへの批判として、瞑想箱庭療法を提起しているにすぎません。」という大住先生の言葉があった。
私は、この「行き過ぎへの」批判という部分に共感した。
クリニックでの仕事、オンラインカウンセリングの仕事で、私は認知行動療法を使うことが多くある。これは、クライエントの求めであったり、医師からの指示であったり理由は様々だ。そしてその効果も実感するところだ。
一方で、認知行動療法で焦点を当てている部分はクライエントのほんの一部であるという感覚も同時にあって、その、焦点を当てていない部分の動きというか、ありようを(というか、そここそを)大切にしたいという思いがある。
うまく言葉として言えないが。
私の場合、症状や「~すれば~なる」というところにばかり注目していると、あまりうまくいかない。自分もしんどくなるし、クライエントの方も少し苦しそうに感じる。
だけど、そのような症状や困りごとを提示されていることにも何らかの意味があるんだろう、その方にとっての大切なプロセスなのであろう、といった態度で会っていると、治っていかれる方、新しい行動を取り入れられたり気づきを得られたりしていかれる方が多いように思う。
布置としか思えないようなこともしばしば起こる。
こういうことを言うと「あなたの認知行動療法が下手というだけのことですよ」と言う人もいるかもしれない。そして、そうかもしれないとも思う。
でも、これが私にとって「目の前の方の最善の利益となる」ための一番自然な態度である。私自身が一番リラックスしてカウンセリングできる態度と言ってもいい。
もちろん、ある手法にとことんこだわる人がいてもいいと思う。また、どの手法を選ぶかはカウンセラーによってことなるだろう。そういう違いがあるのは当たり前だし、自分と違うからと言って相手を否定することもしなくていいし、自信を失うこともしなくていいと思っている。
この本を読んで、もっと、カウンセラーもクライエントも楽になっていいんじゃないか、そんなふうに思った。