『情動・愛着・トラウマ、そして脳科学』から、両眼で見ること、について
8月末にBCT(ボディコネクトセラピー)のコアスキルトレーニングに受講申し込みしたあたりから、身体に意識が向くようになった。
ヨガを再開したり、脳科学や身体志向の精神療法の本をいくつか読んだなかで、今読んでいるのがこの本。
「小立の文庫」という出版社の本。
まだ4分の1くらいしか読み進めていないけれど、「脳科学」という視点から見るとセラピーで起こっていることはこういう風に整理されるのか、と面白い。
このように、少し視点を変えて同じものを見てみる、という作業が好きだ。物事が立体的に見えて、新しい気づきがあり、さらにもともとの知識が深まる感覚が面白い。
今、「立体的に見えて」と書いたときに思ったけれど、人の目が2つついている、ということも、そういうことなのかもしれない。
1つの目でみていると、物事は平板に映り距離感がつかめない。
片目をけがして、眼帯をしてみたりすると、途端に歩きづらくなったり、物を触ったりすることがうまくできなくなるのはこのためだ。
だけど人間とは結構柔軟な生き物なので、ずっと眼帯をつけていると、だんだん慣れてきて、「まあこんな感じね」ということでうまくやれるようになっていくところがすごい。
眼帯に慣れてくる、ということであればまあ都合がいいことが多いかもしれないが、時にその「慣れ」が人を苦しめることがある。
片目で見た情報こそ真実だと思い込んでしまうときだ。
「あの人は○○な人だ」
「私は○○な人だ」
「あれはだめ、これはいい」
などと、人や物事に対する「思い込み」は、時にやっかいだ。
そういうとき、「眼帯とってもいいのかも?」と何かのきっかけで気づくと、またちがうものが見えてくることが多い。
そのきっかけは、人との会話かもしれない、読書体験かもしれない、音楽かもしれない、旅かもしれない、出会いかもしれない、心理療法かもしれない‥‥きっかけの可能性になるものはいくつもある。また、時間をおいてみる、というのも結構ある。
箱庭も、夢中で作っている時に見えているものと、出来上がってから改めて眺めてみた時に見るものと、随分違ってみることがある。
その落差が面白いし、そこに可能性がある。