『君の名前で僕を呼んで』は、愛の記憶をよびおこす


眩しい日差し、草木の香り、アプリコットジュース、古い街並み、自転車、Mystery of Love…

この映画の空気を想うだけで胸が苦しくなる。



『君の名前で僕を呼んで』はルカ・グァダニーノ監督による映画で、世界中で絶賛され数々の賞を受賞した。

イタリアの避暑地で青年エリオと青年オリヴァーが出会い惹かれあう、ひと夏の恋を描いた作品。



この映画の空気。

それは瑞々しくやさしくゆるやかなもので、まるでアコースティックギターのキュッという音のような、どこかに置いてきた遠い記憶のような。

「甘酸っぱい」や「胸が張り裂ける」という言葉なんかでは表しきれない、でもなんと形容すればよいかわからない、そういうもの。


この映画をみて愛について考えるのは当然だろう。

愛することの歓びと痛みを全身全霊で感じることのできるこの映画は、まさに愛そのものの記憶をよみがえらせてくれる。

その記憶とは、過去の愛の思い出というわけではない。

生まれるまえから知っていた、わたしたちの奥に眠っている深い深い記憶のことだ。

だからわたしたちは愛する人と出会ったときに、どこか懐かしさをおぼえるのかもしれない。

出会いではなく再会のような、「やっと会えた」とでもいうような。

この映画でもその懐かしさを感じるのである。



ひと夏の恋というのはよくあるテーマだ。

いくら愛し合っていてもなにかしらの事情で離れざるをえなくなり、やがて再会しともに生きていくというパターンもあるが、たいていの場合がそれぞれの道を進んでいくことになる。

この映画も後者なのだが(原作はすこし違うが)、このような物語をみるといつも感じることがある。

それは、真実の愛や運命の愛だと思われる愛を前にしても、どうにもならない現実のせいとはいえ、その愛を手放すことのできる人間ってなんて聞き分けがいいのだろうということ。

もちろん愛に真実も運命もないだろうし、あったとしてもわたしたちがそれを見抜くことは不可能だ。


でも、こんなにも魂で惹かれあっているふたりをみたら、これが真実の愛でなかったらなんなのだと言いたくなる。

それなのに、それをやすやすと逃して折り合いをつけて生きていくだなんて。


人生ってそういうものなのだろうか。

そうだとしたら、人間はなんてたくましいのだろう。

これがある意味大人になるということなのかもしれない。


でも、もしかすると、逃してしまった真実の愛だからこそ美しいのかもしれない。



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君の名前で僕を呼んで(Call Me By Your Name)

ルカ・グァダニーノ

2017年/イタリア、フランス、ブラジル、アメリカ/カラー/132分