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そうめんとピアノ

夏の定番、そうめん。つるんとした喉ごし、さっぱりした味わい。つゆをうんと冷やして食べるそうめん、今は大好きな食べ物だ。でも子どものころはシンプルだからこ素っ気なく感じて、その良さがわからなかった。そうめん以外にも、子ども時代の「苦手」が「好き」に変わったものがある。ピアノの練習だ。

小学生のとき、叔母が教えるピアノ教室へ通っていた。ピアノを習うことよりも、従妹と遊ぶのを目的に通っていたから、当然、うまく弾けるようにはならず、残念ながら楽しいとは思った記憶もない。

それが9年前、急にピアノを弾くようになったきっかけがあった。実家で誰も弾かないまま放置されていたピアノを自宅まで運んだときのことだ。富山県から神奈川県までピアノを運んでもらった。トラックに載せられてやってきたピアノがクレーンで吊り上げられ、ゆっくりと荷台から下ろされる瞬間、私のピアノが過去からはるばる時空と距離を超えて運ばれてきたような気がして、急に愛おしくなったのだ。

ピアノに愛情を感じたら弾いてみたくなり、その日、すぐに「トルコ行進曲」の楽譜を取り出して練習し始めた。つかえながらの演奏だったけれど、自分で音をつなぐことがこんなに楽しいなんて、驚きだった。

以来、時間を見つけてはピアノを弾くようになった。大人になった私は、「楽譜を見ただけですぐに弾ける」ほどの才能なんてなく、毎日こつこつ練習するしかうまくなる方法はないと知っている。だから、練習が苦にならなかった。自発的な「やりたい」気持ちがあるだけで、向き合い方が幼いころとはまるで違った。やりたいからやる。弾きたいから弾く。

大人である良さのひとつは、「やりたいこと」「やりたくないこと」を自分で取捨選択できることだと思っている。この「自分で選んだ」という自覚こそ、子どもの頃にはなくて、今はあるものだ。今はもう親に叱られることはないのだから、嫌なことはすぐにやめたっていい。

大人になって、「やりたいことをやらない理由」を探すのも、うまくなっているかもしれない、でも自分の中から湧いてくる「やりたい」「やらない」の本音に、正直でいたいなあと思う。

そういえばそうめんは、自分の好みに関わらず、「夏だから」と無条件に食卓に並ぶのが嫌だったのかも。食べたい!と思ったときに食べるから、おいしいんだと思う。

#夏の思い出

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