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保育園にニコニコ通う次男の話〜桜の思い出その2〜

桜の思い出の続きである。


今度は次男が保育園に通い出した。
次男は保育園に行くのをいやがることもなく、毎日機嫌よく登園してくれたので安心して仕事をしていた。

そんなある日、次男が
「お母さん知っとる?ほんとはね、ぼくがいつもニコニコして保育園に行ってるのはお母さんのためなんだよ。」
とぽつりと言ったのだ。


え、と驚いた。わたしはこの子は保育園が楽しいんだな、と思い込んでいたからだ。でもそうではなかったらしい。

そうとわかれば、ほかにも心当たりがあるではないか。
夜の読み聞かせの時も、疲れて先に寝てしまうわたしを起こすことなく、次男は自分で本を読み、自分で電気を消して眠りについていた。
健気である。

ただそんなことを当たり前のように思って全く気がつかないわたしに、ねぇわかってる?ぼくもいろいろあるけどさ、がんばってるんだよ。とようやく口にしてくれたのだった。

わたしは深く反省し、なんだか申し訳ない気持ちになって「ごめんね」と謝るしかできなかった。


そんなことがあった日からしばらくして
「はい、お母さんにおみやげ。」
と、次男は園児服のポケットから、くしゃくしゃになった小さな桜の花の一片を取り出した。

性格の違いからか桜の保管状態は違ったが、長男の時と同じ桜の花の贈り物だった。

「ほらエンテイの桜の花きれいやろ。お母さんのおみやげにしてあげようと思ってな。」
と園庭の桜を指さした。
次男がきれいな桜の花をそっとポケットに入れた様子が目に浮かんだ。

なんにも気がついてやれない母なのに、それでも母を喜ばせようとしてくれるんだな、ありがたいなと泣けてきた。


こうして桜の季節になれば、あの時の小さなハンカチにていねいに包まれた桜の花と、ポケットから出されたクシャクシャになった桜の花を思い出し、幸せな気持ちになるのだが、息子達に話せば、そんなことあったっけなぁと笑うだろう。

うれしかった、楽しかったと覚えているのは、特別なことではなく日常の小さな出来事だ。それで幸せになれるのだから、子供は親に特別なものは贈らなくてもいい。親孝行はすでに子供の頃に済んでいるのだ。

花冷えの朝、満開の桜に雪が積もりました。

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