昔の人は、なぜ力持ちだった? 型稽古の、もう一つの意味
時代劇などでよく見る米俵。あれひとつで、だいたい60kgあるそうです(時代や地方によって多少の違いあり)。
この大きさは「一人で担いで運べる」ことを基準として定められたとか。
みなさん、担いで運べます?
私は無理。
古い写真で昔の人の身体を見ると、それほど太い筋肉はついていません。
考えられるのは、筋肉の付き方が違っていたのではないかということ。
・昔の人も楽をしたかった
昔は、動力と言えば水車と牛・馬。
逆に言うと、それ以外はすべて人力が頼り。なんでも人の力で動かします。
米俵を運ぶのも、土を掘るのも、石垣を積むのも人力。
たぶんみんな、
「楽をしたいなー、もっと楽な運び方はないかなー」
と思って「軽く持つ」工夫をしていたはずです。
皆さんご存知のように、重いものを持つにはコツがあります。
身体に近い位置で持つほうが楽だったり、背負うなら高い位置で背負うほうが楽だったり。
昔の人は、楽をしたいと思ううちに、身体の使い方も筋肉も、力が要らないように訓練されていったはずです。ただ、それでも身体を使う機会は多いので、筋肉量は増えたはず。
力の要らない方法を訓練しながら鍛え上げられた筋肉。
・型稽古の、もう一つの意味
現代人の場合、日常で力を使うことはあまりないですよね。
筋肉をつけるために使う時間は短くて、その時間で効率よく筋肉をつけようと思うと、あえて非効率な動きをするしかない。
(このあたりは「武道・武術で「筋トレはするな」と言われる理由」で書いたところです)。
効率よく動く筋肉がほしければ、実際の動きの中で鍛えるしかない。
そこで思い出したのが、型稽古。
型稽古については、同じ動作の繰り返しによって、動きの制御を上げてゆくための練習だと、以前に書きました(「武道の型稽古って、なんのためにある?」)。
型稽古は、脳を鍛える稽古ではないかと思っていたのです。
しかし型稽古には、この筋肉をつける目的もあるのではないでしょうか。
その流派の実際に使う動きで、使う筋肉をつける。
しかも丁寧に、繰り返して鍛え、身体を作ることができる。
もしかしたら、型稽古の意味は、思っているよりもっと深いのかもしれません。
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