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記憶に散る断片的な母の優しさ

一番幼い頃の記憶として覚えているのは海苔で可愛くデコレーションされたおにぎりだろうか。母が保育園の遠足で、おにぎりがサッカーボールになる市販の海苔を買ってくれた事から始まる。子供でもその海苔が普通に買う海苔よりも高い事は感覚で分かっていたから、そういう物を子供に使ってあげようという心意気がとても嬉しかった。

確かこんな感じの海苔

タコさんウインナーとサッカーボールのおにぎりを保育園と友達に自慢したら羨ましがられたんだよと母に伝えたら、次年度の遠足では下の画像のようなおにぎりがお弁当箱から顔を覗かせた。可愛い。しかも今回は形が出来ているものではなく母が忙しい朝に、わざわざ海苔をハサミで切って作っている。言葉にはしなかったがキラキラとした思い出として心に記されている。

イメージ図

他は…そんなに思い出せない。親視点からすると愛情の表現だと思ってしている事でも子供にとっては日々の中にある当たり前の事象として受け取っている事も多々ある。特に私の家は母子家庭だったから母と交流する時間があまり無かったせいもあるかもしれない。母にとっては仕事をして子供を食べさせる事自体が愛情だったのかもなと最近思う。

あとはそうだ、身体についての話もしっかりしてくれた。初潮が来た時に「本当はお赤飯炊いたりするけど兄にバレるというか、察されるのは嫌でしょう?レストラン行こうよ」と提案してもらえた。近所のファミレスだったが貧乏な親子が一食に二千円弱も使うなんてとても贅沢な事だったから恐れ多く感じていたのを覚えている。

母は「(私から見ての)祖母は生理について嫌悪感を持ってた。私のお腹の痛み(母は成人後に街中で倒れ、子宮内膜症と分かったらしい)を理解してくれなかったし、教えてくれたのはせいぜいナプキンの付け方くらい。シーツに血がついた時は意味のわからない剣幕で怒られた。だからあんたに生理が来た時はちゃんと理解してサポートしてあげたいって思ってた」と言っていた。

結局私自身はそんなに重たかったり子宮内膜症のような症状はこれまで無かったので安心している。ナプキンがズレてシーツに付いた時も優しく洗濯してくれたのは懐かしい。「生理のあるあるよね、洗濯しとくから先に学校行きな」って。

後は矯正歯科に行って歯並びをきれいにしたり、歯医者に定期的に通わせて虫歯を予防させてくれたり…。矯正歯科では都度都度お金が払えなかったから、ボーナス等で払えるようになって一気にお金を持っていっていた覚えがある。なぜそこまでしてくれたのかは分からないがおかげで気軽に歯を見せて笑える。

他にもいつか思い出したら書いていこうか。優しさを受け取った事がない可哀想な自分に浸るのも良いが一方で親からの優しさを忘れている自分に気づきたい部分も多少ある。新生活から約9ヶ月、服やパソコンを買い、自分のやりたいことに注目出来るようになってきた私は今後どう変わっていくのだろうか。

ご一読感謝。

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