三線を再開。店内ライブ実現に向け動きはじめました。
このマガジンは、福岡市中央区在住の現役看護師が、飲食店“昼から飲もう、日替わりおかずと楽しいお酒”「博多okatteふじコ」を福岡市グルメタウン薬院に開業。開業前からnoteを綴りはじめ、開業して1年半が経過しました。そんな私が考えた事を書き留めた記録です。
私が沖縄を知ったのは、20代半ば。看護師になって給与を頂けるようになってからは、発展途上国やアジア諸国を中心に海外旅行によく行っていた。
友人からの誘いで石垣島に行った事がきっかけで沖縄が大好きになってしまった。
通称 沖縄病 発症
沖縄を知ってからは海外旅行には韓国位で、ほぼ行ってない(笑)病は治らないらしい。
初めて訪れた沖縄、石垣島でのエピソード
綺麗な海に気を許した私は、シュノーケリングの際にうっかり身体の背面側に日焼け止めを塗る事を忘れてしまった。SUN SUNと石垣島の太陽が私を照らし、特に足の裏側は日焼けというより火傷状態、座るも立つも痛くて酷かった。ホテル近くの居酒屋に行くと、働いていたおばあ(お婆さん)たちが、寄ってきて、私の日焼けの話をし始めた。
何て言ってるか解らないけど私の話みたい
居酒屋のメニューもカタカナばかりで、
解らない(笑)
しばらくして一人のおばあが、自宅からアロエを切って持ってきてくれて、私の足に塗り始めた。言葉は全く解らないけど、これが一番良いから、というような事を言ってたようだった。
お土産にアロエを貰い自宅へ帰ってからも塗って、悪化せずに済んだ。奪熱保湿効果、昔からの沖縄の知恵袋らしかった。
そんな沖縄は戦後復帰50年
NHK朝の連続ドラマは、その記念作品だ。
世間ではストーリーがトッ散らかって、悪評らしいけれど、私はそれも込みで面白いと視ている。あの石垣島の、あの時の印象そのままだからだ。
海がキレイだから、
ご飯が美味しいなら、
お酒が美味しく飲めるなら、
なんくるないさぁ(何とかなる)
そして、優しい。
沖縄病に罹り、
通いつめ、スキューバダイビングと三線を始めた。元々音楽好きな私は、三線にドはまりして、老人ホーム慰問~地域の祭りやイベントにも出演させて頂いている。
流派にも属してなければ、古典も出来ないけれど、三線の音や沖縄音楽が大好きだ。
コロナ禍で唄うことは悪とされた。
三線サークルの活動は停止し、オファーも無くなり、サークルは事実上の消滅状態になった。
沖縄に行って、三線を弾くと、沖縄人の年長者が一番喜んでくれる。
『内地の人が弾いてくれて嬉しい』
その言葉が私の胸に響いて、
私は三線をやってきた。
大好きな沖縄。だけど、
戦争の事は正直わからない。
でもそれで良い。
好きでいて良い。
また三線を再開して、唄い、奏でる。
ああ~
ちむどんどんしてきたぁーー‼️
ℹ️お店ではただの沖縄好きな素人が作る沖縄そばを期間限定でお出ししております。
でーじ、まーさん
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2020年コロナ禍に開業した看護師です。ワクワクが止まりません。Withコロナはまだ続きますが、継続していけますように応援お待ちしております。