自分のために書いて、すこしでも読んでくれる人を大切に
noteを続けていくと、必ず記事の反応に差が出ます。
私はスキの多い少ないで自分の記事の良し悪しを決めるほど、馬鹿らしいことはないと思っています。
冒頭は、noteでも認知度の高い竹村俊助さんの著書「書くのがしんどい」から引用しました。
本書はnoteやTwitterを使っている方にとってタメになる情報が詰まっています。
竹村さんは「スベる」=投稿のいいねやスキが自分比で少なかったという意味合いで書いたと捉えています。
確かに比べると正直凹みます。
実際そこまで面白い記事を書いているつもりもありません。
ただ、それを「スベった」とつなげるのは早計だと個人的に思います。
1人でも面白がってくれたら御の字
たとえば自分がお笑い芸人だったとします。
あまりウケないギャグやネタを披露して、会場が白けてしまいました。
ですが、中にはクスッと笑っている人や、「へえ、まあまあおもろいやん」と思っている人もいるかもしれません。
noteならスキを押してくれた人、押してないけど読んで何かしら好意的に捉えてくれた人です。
大人数の前で大半が笑っていないのは、それこそしんどいです。
ただ、それは「おもんない」「知らんがな」な人が多いだけで、何人かにはちょっとウケているのです。
1人でも何か反応してくれたり、心が動いたりしてくれたら御の字。
そのくらいの意気でいたほうが、のびのびと続けられます。
もちろん「もっとスキが欲しいよ〜」というのが誰しも本音です。私もです。
そういうときは、「ドーパミン(快楽物質)が悪さしてるな。やれやれだぜ」と処理するのをおすすめします。
読まれなくても、自分は確実に読者
そもそも、きちんと精読されている(最後まで一言一句読まれている)保証などどこにもありません。
PV数に対し「精読率」なんてものがダッシュボードに導入されたら、私を含め多くの人が愕然とするのではないでしょうか。
ここで冒頭の「読まれない文章をいかに書けるか」です。
精読率が分からないとしたら、100%判明している読者は自分だけです。
だったら、究極は自分という読者のために書く。
備忘録でも日記でもいい。ひたすら好きなもの、推しのことを書いてもいい。
私の意見はシビアかもしれません。
ですが、まずは自分のために書いて、すこしでも読んでくれる人を大切にできれば、毎日でなくても続けられるのではないでしょうか。
大きなことを目指すのは、ある程度持久力がついてからでも全然遅くありません。
◇◇◇
10月のクリエイターフェスに何らかの形で参加したくて、今月だけ毎日投稿に挑戦しています。
今日はちょうど折り返し。何とかかんとか投稿を続けています。
これまで、私の連続投稿記録は10日まででした。
正直、15日続けただけでも「もうちょっといい記事書けたんじゃないか」「もっとじっくり考えてから投稿したい」気持ちでいっぱいです。
ですが自分で決めたことなので、31日までは何かしら投稿していきます。
色々思うことはあるけれど、絞り出すことで、本当は話したかったことが出てくるのを実感しています。
固まりきらなかった半熟卵の黄身のように。
※ヘッダー画像はみんなのフォトギャラリーからお借りしました。ありがとうございます。
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