ギックリ腰はなぜ痛いのか?
ギックリ腰という単語を聞くと、イメージとしては「動けない」とか「這ってトイレに行かなくてはいけない」とか、ネガティブなイメージを持たれる方が多いと思います。
私、鍼灸師という職業柄、ギックリ腰の人を診させていただく経験は多いのですが、私は、ギックリ腰にあまりネガティブなイメージを持っていないんです。
ギックリ腰になった方のからだを触れ、私が抱くようになったイメージがあるのですが、今日は、「ギックリ腰はなぜ痛くなるのか?」について、詳しく説明させていただこうと思います。
「腰は、ことばは言わずとも、大きな叫び声をあげている」
日頃、からだって自己主張しないと思うんです。
からだに不調を感じない人にとって、からだは「ない」に等しいもの。
ひとたび不調を感じると、腰が痛くなったら腰は叫び声をあげて自己主張をし、初めてその存在に気づくはず。
「ない」から「ある」になるのですね。
「ある」ということ
からだって、滅多に声をあげません。自己主張をしません。ムチで叩かれても、叩かれても、人に噛みつかない従順なワンちゃんみたいに…
もの言わぬからだが「ある」とわかるようになったとき、目をつぶらない方がいいです。しっかり耳を傾け、何を言っているのか聞いてください。
自己主張をしないからだが、やっと声をあげたんです。耐えて、耐えて、いろいろなトラウマを抱えて、最初は小さな声でささやきます。どんどん、声は大きくなり、もう、目をつぶれないくらいになる。
痛みが四六時中、頭から離れず右を向いても、左を向いても、お風呂に入っているときも、夕飯を食べているときも、大声で叫んでくることがあるはず。
叫び声は、どこからくるのか?
では一体、からだは何を叫んでいるのか?
ギックリ腰にも種類があって、おおざっぱに言うと、からだを前後に倒しにくくなるタイプのギックリ腰と、何をしようにも痛みが出てくるタイプのギックリ腰が代表的です。
ちょっと、腰の骨である「腰椎」について説明させていただきたいのですが、腰椎って5つの骨があるんです。
5つの真ん中は腰椎の3番。イメージわかりますね?一番上が腰椎の1番。一番下が腰椎の5番。腰椎の5番の下は「仙骨」です。
3番が真ん中で、3番は中心で、からだを捻ったりする運動に主に関与すると私は習いました。くびれのトップになるところが、腰椎3番がある ライン。
3番の上下が、腰椎2番と腰椎4番。基本、この2つ叫びはじめると、左右に動きにくい腰痛になります。
そして、腰椎1番と、腰椎5番は前後の動きをつかさどっていて、ギックリ腰の中でも、歩けるタイプというか、立ったり座ったりが痛いけれど、なんとか日常生活を送れる場合、腰椎1番か5番の叫び声だったりする可能性が高いです。
人間の動作って、腰を3番で捻る動作がものすごく多く、3番が叫び声をあげると、大体すべての動作ができなくなります。
…いったん、腰椎の何番というのを忘れていただいて…基本的に、からだの中で一番最初に働く部分が不調になった場合、少し言い換えると、からだを動かす時に最初に動く部分が不調になった場合、専門的な言葉でいうと「初動部分」が不調になった場合、どんな動作でも痛みは出ます。
初動部分は、優秀な社員に似ている
イメージしていただきたいのですが、会社の中には、ものすごく仕事ができて、テキパキ動いて、なんでもこなせる人っていると思うのんです。
仕事の起点になっている人というか、この人がいないとプロジェクトがまわらないという方。
何をやるにも中心となる人物が突然病欠してしまうと、どうなるか?
きっと、会社はてんてこまいになると思うし、いちいち病欠している人が寝ているのを起こさないと、仕事が前に進まないかもしれませんよね?
初動になる部分、いつもその人が毎回酷使している部分、言うなれば一番優秀な社員が不調になると、ウンともスンとも動けなくなるんです。
…これ重要な考え方で、にっちもさっちも行かない状況になった場合、「悪い部分」が原因じゃなくて「優秀な部分」が原因になっていることが圧倒的に多いんです。
痛めた腰は「悪い」訳ではない
だからこそ、痛めた部分を「悪い」というのは、とてもとても可哀想なことなんです。
よく、「腰が悪くて」という方がいらっしゃいますが、一番よく働いている社員が病欠して休んでいる時、「あいつが悪い」とはならないでしょ?
ご苦労さまということばが、きっと痛めた部位にはふさわしい。
休暇をあげて、ハワイ旅行でもプレゼントしてあげないといけないくらいです。
「悪い」なんて言ったら、ストライキを起こしますよ。
からだは優秀な部位ほど酷使されている
痛めた部位は、日頃たくさんたくさん働いている部位であって、悪い部位にはあらず。
優秀な部位は出番が多く、いつだってひっぱりだこなんです。
痛みが出る必然性があったんです。
よく「突然ギックリ腰になった」とか「理由がいまいち思い当たらない」とおっしゃる方がいるのですが、それもそのはず、不平不満を言わずに、からだはいつも動いてくれていたんです。
痛みが出る前から、必ず痛みが出やすい要因があります!からだには、しっかり書いてあるんですよ!
もしも、何かを「悪い」とするなら、からだを道具のように酷使した自分が悪い。
日頃から、からだの声に耳を傾けなかった自分自身が一番悪いのです。
責任を誰かに押しつけないでください
痛みに悶えていると、きっと、「あぁ、この動きだったら痛くないぞ!」という、細い隙間から光が差し込んでくるような経験をされるはず。
ゆっくり座ろうと、腰だけではなく、からだの声を聞きながら動くと、痛くない動き妮出会えるかもしれません。
一筋の光明が差してきたら、突然大雨が降ってくるかもしれませんが…人は学習する動物です。光の方へ向かって、明るい方へ向かって歩けるようになってくるのですね。
周囲から見ると、とても滑稽に見える、スローモーションの動きかもしれませんが、ベストな動きというものが必ずあって、痛みから抜けられる道を見つけたら、そこから回復はグーンと早くなるんです。
光のその先へ
一筋の、あの光はなんなのか?
これまた例えさせていただきたいのですが、優秀な社員が病欠してしまったことにより、周りの人が一致団結して、仕事をしはじめるのですね。
今まで、ほとんどプロジェクトに参加もさせてもらえなかった日陰にいた社員に、突然白羽の矢が立ちます。
「この仕事、代わりにやってみないか?」
「はい。不安ですが、先輩方にバックアップしていただけるのなら、やってみたいです!」
…という具合に、慣れないことを任されたことによって、一生懸命に仕事をしはじめる人たちが出てくるのですね。
今まで一人が起点になっている仕事が、病欠になった優秀な社員が病欠になることによって、育ってくるんです。
「痛み」が教えてくれること
徐々に優秀な社員も回復してくる頃になると、痛みも抜けてくるのですが、実は、しっかりと痛みと向き合った方が、ギックリ腰を繰り返しにくくするのには一番大切なことなんです。
痛みがあるからこそ、一番優秀な社員を休息させてあげることができるし、痛みがあるからこそ、周りが団結して、全体としてバランスのよい、一つの場所を酷使しない動きを獲得できるんです!
痛みって、大体2週間くらい続きます。
足首の捻挫だって、2週間くらい痛いじゃないですか?
筋肉や血管、神経などが回復するのに、どうしても2週間はかかるんです。
痛みのある、2週間の間、新しい動きを試して、今まで初動だった部位を使わなくなり、無理のない、一カ所が酷使されない動きを獲得するための、大切な時間だったんです。
痛みはまゆで、光が差す方向を示す、大切なナビゲーションシステムとして機能してくれていたんです!
痛みのイメージ、変わりましたか?
どうですか?痛みのイメージ、変わりましたか?
世の中にあるもの、きっと、不必要なものなんてないんです。
自分にとって不都合なことは、誰かにとって都合のよいことかもしれませんし、不都合なことも、巡り巡って自分の栄養になることだってあるんです。
ギックリ腰はなぜ痛いのか?
「痛み」を煩わしいものと捉えず、少しでも動くことができるのなら、痛みを頼りに、まだ見ぬ新しい方向へ進んで行くことができるはず。
休息も必要な場合もありますが、寝込んだり、痛み止めを使って無理やりからだを動かせるようにしても、痛みはまた繰り返すだけです。
痛みを、休む理由にしないでください。
休みたいなら、元気な時に有給を使って休めばいいんです。
視点を変えるだけで、ギックリ腰の痛みも、なんだか必要なものだと考えられるかもしれない…
人のからだは、偏って使われている
人のからだは、使われているところと、ほとんど使われていないところの差が激しいんです。
仕事がデスクワーク中心になり、座り時間が長くなってしまったことが、大きく人のからだに偏りをうむことになりました。
今の時代だからこそ、ご自身のからだと向き合ってください。
不調が出たときだけ自分のからだを「悪い」とののしるのではなく、元気なときからご自身のからだの声に、耳を傾ける癖をつけてください。
からだは、小さな小さな声を発しています。
いつもは「ない」からだが、「ある」と感じるようになったとき、しっかり自分のからだの声を聞いてください。
聞こえてきたら、聴いてください。
内側の眼で、自分を見つめてください。
目の前は、目をつぶっていてもまっ暗ではないはず。
いつでも光は、どこからともなく差し込んできています。
しっかり聴いてください。観てください。
繰り返すのには理由があります。
答えなんてないんです。自分で答えを探して、自分で決めてください。
「よい」「わるい」の二択で分けることなく、自分の中の答えを見つけて、自分自身の世界に、新しい視点を持ってください。
世界は、あなたが見たように見えます。
どうせ見るなら、私は美しい世界を見ていたい。
「正しい」か「正しくない」かで世界を見ないでください。
自分の世界を、もし自分自身で創っていけるのなら、私は美しい世界を創ります。
ただそれだけです。
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