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「君たちはどう生きるか」と、先人たちに問いかけられている

『君たちはどう生きるか』を見てから、いろいろなところで、映画の後遺症というか、宮﨑駿さんが仕掛けた罠にはまってしまったことを自覚するんです。

今回は、『君たちはどう生きるか』を見て私が思ったこと。また、最近読んでいる村上春樹さんの『街とその不確かな壁』を読んで感じたことも書かせていただきます。

映画のネタバレはしないので、安心して読んでいただけたら嬉しいです。


「おおくにたま鍼灸院」と『君たちはどう生きるか』の共通点


…手前味噌ですが、たぶん、おおくにたま鍼灸院は、「どんな施術をする?」とか「鍼を打つ」「お灸を据える」とか、「何をするか?」というものや「どんな手順で人を診るか?」ということを決めていない鍼灸院なんです。

『君たちはどう生きるか』に似ている…と勝手に思っている自分。

どんなことをするか?内容を予告することも、施術をしてそれが何に効くのかも、できる限り説明しないようにしています。

『君たちはどう生きるか』を観終わって


『君たちはどう生きるか』を観終わって、いろいろな方の感想を見聞きして、みんながみんな、自分なりの解釈をするのですが、答えが出ないんです。

…たぶん、私たちは、答えを出すこと、確かなことをつかみにいくことを訓練されて生きてきたんです。

でもですね、実際に生きてみると、長く生きれば生きるほど、正解なんてないと知るし、みんながみんな、違う答えをもっていていいのだと思うようになるんです。

私は、答えのない施術をしたい。

おおくにたま鍼灸院の来院者は、9割以上が紹介の方です


鍼灸院に来院する人の9割は紹介です。

インターネットで調べて来たという人はごくごくわずか。

紹介されてくるとき「とりあえず行ってみたら」と言われ、「どんな施術をするか?」という説明をされないらしく、来るのに勇気がいると言われたことがあります。

予告編も、イメージ映像もないのに、よくいろいろな人が来てくれるなぁと、いつもありがたい気持ちになります。

来ている方も、たぶん、毎回施術の内容が変わります。

あるときは鍼とお灸を。あるときは瞑想の仕方を習い。あるときはお話だけをきき、今ある問題について一緒に解決策を考えると…

毎回違う内容で施術をするし、決まった手順を一切持っていないのが、私の施術の特長になります。

鍼灸師ですが、鍼もお灸も使わないことがあります


私、鍼灸師ですが、「鍼」も「灸」もせず、「手」だけで、他の道具を一切使わずに診ることも多いです。

でもですね、私の行うことは「鍼」であり「灸」なんです。

東洋医学という土台の上に私は立っていて、「私自身が鍼」だと思って施術をしています。

私の師匠の鍼


師匠があるとき、鍼を打つまえに、「患者さんの脈を診ていなさい」と、あらかじめ私が脈を取り、その上で師匠が鍼をするという経験をさせてもらったことがあるんです。

師匠が鍼を構え、「んっ!」と気合いをかけたかと思うと、鍼を打つまえから「ドクンッ!!」と脈が強くなったんです。

…!?

「鍼とはなんだ?」と、師匠に身をもって教えられた気がしました。

師匠自身が、紛れもなく鍼だったんです。

自分の存在を鍼にする


鍼やお灸が、道具として特殊な働きをするのかも知れませんが、それ以前に、人自身が鍼なのだと、私は思っています。

自分自身が鍼と向き合い、鍼と仲良くなり、東洋医学の理論を自分の生活に落とし込み、やっと鍼が活きてくる…鍼が生命をもって、人の気を動かしていく…

私はそう思っています。

人のからだと、こころはみんな繋がっている


世界には、いろいろな価値観があるし、異なった神がいて、異なった宗教があって、なかなか一つになりません。

でも、きっと、人のからだと、こころはみんな繋がっているんです。

どこかで戦争があれば、とおく離れていても悲しくなるし、誰かが辛い想いをしていると、一緒に辛い気持ちになることができる。

いろいろな「悲しい」があるけれど、「悲しい」を時に共有することもできるし、できないこともある…

単純な「いい」「わるい」で括ることができることもたくさんあるし、今日、自分の中で正しいと思っていたことが、明日は、間違っていたと思うことがあるかもしれない。

でもですね、私たちは生きていかなきゃいけないんです。この世界を。

変化する地球。変化する「私」


地球はかわらないようでも、ここ数十年の間で温暖化していることがわかっているし、変わらないと思っていた「愛」も、時と共に形を変えていくかもしれない。

確かなものなんて、何もないんです。

あるのは、願いだけ。

ある人は、今ある利益を護りたい。護りたいからこそ、変化を否定する。

ある人は変化をしたい。でも、今ある習慣を変えたくない。

「悲しい」や「嬉しい」だけでは語れない「切ない」という感情もあるし、1個ではなく、複合的に物事を捉えないと、理解できないことが増えてくる。

また、複雑に考えていたことを因数分解しないと見えないものもある。

答えなんてない


答えなんてないんです。

人それぞれ、何を感じるかが大切で、誰が正しいとか、間違っているとか、そんなことで口論しなくていいのではないでしょうか?

人は人、自分は自分。

胸を張って生きられれば、それでいいんです。

自分のことを好きになる


私、何かをはじめるとき、決断するとき、その決断によって、自分のことを嫌いになる可能性があるなら、やめるようにしています。

例えば、糖質制限をして、糖質をたくさん摂ってしまった自分を責め続けるのなら、糖質をやめます。

糖質制限をしている自分を好きになるなら続けます。

何かをする、しないの選択基準を「自分を好きになるか?」「自分を嫌いになるか?」で判断しています。

人にアドバイスするときも、その選択肢をして、自分を嫌いになるならやめた方がいい。

自分が行う選択は、自分を好きになるためにしていただきたい。

SNSで誰かを批判する自分が好きなら続ければいい。

先日、「どうすれば異性にモテるようになりますか?」という質問をいただいたのですが、私は「自分を好きになってください」と答えました。

ナルシストになれということではなく、自分を好きになれるようになれば、その人の周りには、自然と人が集まってきます。

美を磨くことも、自分を好きになるための大きな一歩かもしれません。

筋トレをして、自分を磨き、自分と結婚したら幸せになるだろうなぁと思える自分になれたら、いつの間にか、モテるようになるのではないでしょうか?

鏡にうつった自分を、かっこいいね!きれいだね!とほめられような、そんな自分になってください。

人は誰でも、傷を抱えながら生きている


私、一時期、SNSを見るのがしんどくなって、投稿ができない時期があったんです。

その頃から、活字が頭に入ってこなくなったというか、本が大好きで、本ばかり読んでいたのに、本が読めなくなったのですね。

特に、物語が読めなくなって、本を読むことから遠ざかっていたんです。

欲しい本があると買ってはいたのですが、読まないままの本がたくさんあります。

映画のパンフレットも、買ったけど読めていないものがたくさんあります…

社会復帰できてきたのは、ここ最近の話


なんというか、社会復帰するためのリハビリ期間が、最近、やっと終わりになってきたというか、まだ、SNSについたコメントを読んだり、コメントを返すのにエネルギーがいるのですが、低空飛行から浮上してこれた感じがするんです。

3年くらいかかりました。

SNSや直接、心ないことばをいただいたことあります。

決して忘れないし、決して許さない。

人は誰しも、傷をかかえながら生きています。私も、あなたも。

村上春樹さんの『街とその不確かな壁』


最近、村上春樹さんの『街とその不確かな壁』を読み終えたんです。久しぶりに、物語を読みました。物語復帰一作目が、『街とその不確かな壁』になりました。読みましたというよりも、読めましたって感じでしょうか。

『街とその不確かな壁』、今まで読んだ小説のどれにも似ていなくて、正直なところ、面白いのか?楽しいのか?何を学んだか?私にはわからないんです…

今まで出会ったことのない感情に出会わせていただいています。

本当に、答えがないし、読む人によって、違った感想を持つかもしれない…

宮﨑駿さんの(あっ!もしかしたら、「スタジオジブリの」というのが、正しい表現かもしれません)『君たちはどう生きるか』も、村上春樹さんの『街とその不確かな壁』も、答えのない世界を、私たちに見せてくれている。

語られないからこそ余白に奥行きができるし、答えが出ないこと、いろいろな人のいろいろな意見を聞くのが面白い。

語られない部分を、自分の人生から見た視点で補って、物事をファンタジーとして成り立たせるのですね。

宮﨑駿さんや、村上春樹さんの作った世界を、自分たちの手で、読み手の人たちがより立体的に構築していく。

どれもがパラレルワールドであり、自分の人生に起こりえたである可能性を元にした並行世界です。

交わって、交わらず。繋がって、繋がらず…

『君たちはどう生きるか』や『街とその不確かな壁』に出会い、私の世界はひろがりました。

それが、「いい」とか「わるい」とかは別にして。

人とコミュニケーションすること


人との対話は、自分の世界をひろくしてくれるのかもしれません。

自分の中になかった世界を、見えなかった世界を見せてもらえる。

他人の意見を聞くことも大切。自分の世界を持つことも、自分の世界を護ることも大切。

みんな違って、みんないいんです。

先人たちが、私たちにたくさんの問いかけをしています。

「君たちどう生きるか?」

「君」でなく、「君たち」はどう生きるか?

そう問われている気がしています。

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