映画レビュー(6)ダークファンタジーの傑作「パンズ・ラビリンス」

「パンズ・ラビリンス」(2008)監督・ギレルモ・デル・トロ

(2008年 04月 23日 「読書記録゛(どくしょきろぐ)」掲載)

 ハリー・ポッター以降、「指輪~」「ナルニア~」「ライラ~」「エラゴン~」と、ファンタジイはもうお腹いっぱい状態だろうと推測される。
 その中であえてお勧めするファンタジイが、この「パンズ・ラビリンス」である。
 前述の多くのファンタジイが、大人の中の子供の心に訴えるものであったり、深い哲学を暗喩するものであったり、単に異世界のイメージにびっくらこいてもらおうというものであったりするのだが、この作品は少し違う。
 ヒロインの少女オフィーリアは、メルヘンの好きな繊細な少女である。舞台は第二次大戦のフランコ政権下のスペインの山奥。再婚相手の政府軍の大尉の元へ出産のために訪れた臨月の母親とオフィーリア。パルチザンと戦う残酷で高慢な義理の父になる大尉が悪役だ。
 この緊迫した「現実の物語」と、館の庭に隣接する古代の石の迷宮で、オフィーリアが体験する「現実とも幻想ともつかない三つの試練の物語」。これがひとつのストーリーなのか、映画(虚構)の中の少女の幻想(虚構内の虚構)なのか、映画の見方によってどのようにも解釈が可能な知的な構図(好きなのこういうやつ)である。
 よく「力の裏づけのない愛は無力である、愛のない力は暴力である」などと言われる。この映画は、「力のない無力な少女」が、「自分よりもさらに無力な赤ん坊」を、身を挺して救う物語なのである。そして、その身を捨てた決断をした心こそが「真の強さ」であり、パン(牧神)の言葉で言えば、「それこそが試練の正しい選択なのですよ」なのだ。

 現実のストーリーは悲しく哀れな結末を迎えるが、これは少女の魂の勝利の物語である。そして、人間は生まれながらに善なんだ、という製作者のメッセージが伝わってくる映画である。
 ちなみに少女を導くパン(牧神)の造形は、果たして善なのか悪なのかを観客に判断させない、ユーモラスながらグロテスクな見事なもの。ギリシャ・ローマ神話由来の牧神は本来豊穣の神であるが、キリスト教では邪神とされ、この映画では半人半獣でヤギの頭を持っている。まさにサタンのような姿なのである。

パンズ・ラビリンス 通常版

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