創作エッセイ(2)読者の脳内イメージを意識する
読者の脳内イメージを意識する
小説を読みながら、読者は脳内で作品の舞台やキャラクターのイメージを構築していく。
そして文中で触れられてない事物は、読者のイメージで補完されていくものです。作者はそれを利用して、読者の想像力に委ねることで冗長になりがちな描写を省略している。
読者の想像力に任せている部分
作者や作品によって変わるのだが、どんな書き手も読者の想像力に委ねる部分はある。
学校の教室、信号機、スマートフォンなど、現代人がイメージを共有しているものは特に描写は必要ないし、登場人物の具体的な顔立ちなども、読者の想像力に任せてしまってかまわない部分だ。
一方、そうじゃない部分は描写が必要になる。例えば、物語に関係してくる、その人物の特徴(太っている、痩せている、苦手なもの)や、人々になじみのない珍しい場所や状況は些細な描写が必要になる。だが、この描写、「とにかく作中で描いておけばよし」ではない。
描いておくべきベストのタイミングがあるのだ。
描写しておくタイミング
例えば、登場人物の特徴などは、登場したところで描写しておかなければならない。描写していないと、読者は物語を読みながら勝手にイメージを組み立てていくからだ。
登場してからかなり経ったタイミングで、
ハンカチを出して額の汗を拭き、「太ってると暑さが応えるな」と言った。
と描写すると、読者は「こいつ、太ってるのかよ」と改めて組み立ててあった脳内イメージを補正する必要に迫られる。これはよくない。
実は、web投稿サイトの作品や、自分の講座で拝読する受講生諸氏の作品ではちょくちょく出くわして「惜しいなあ」と思ったりする。
意図的に仕掛ける場合もある
「キノの旅」(電撃文庫 時雨沢恵一)では、第二巻で「キノって女の子なのかよ」と驚いたのだが、これは作者が意図して仕掛けたものだろう。作家はこういう仕掛けもするのだ。
映像ではない小説の場合、この読者の脳内イメージの構築を逆手に取る場合もある。
よくあるのは、この語り手、誰なのか? と読み進めると、主人公の飼っている愛犬の目線だった的なパターン。
読者の脳内イメージ構築作業そのものを作者の掌の上で操ってしまうわけだ。
巧くなってくると、そんな芸当も出来るようになる。
小説創作系の「~してはいけない」だが、正確には「なれないうちは~してはいけない」であって、どんどん試行錯誤すればいい。読者に通じなかった場合は、その理由を探し、何度も直せばいいのだ。何作も書いていくうちに、「俺ってこんなことまでできるようになってたわ」となる。創作の楽しみはそこにあるのだ。