見出し画像

すべては自分のコンディション(日記107)

今日は、そわそわ、そわそわした日だった。


11月の月末で、トライアル雇用が無事に1ヶ月終わって、こころもからだもほっとひと息、1ヶ月無事に働けたことが嬉しかったし、何より、「安心して働いていること」がとてもありがたく、はあ、ほんとうによく頑張ったなあ自分!と思っていたのが、この前の週末。


ちょっと、軽躁状態かな?という感じで、疲れを感じにくくなっていて、要注意だなあと思っていたのが、ここ数日。


今日は、午前中はよかったのだけれど、お昼をまわったあたりから、そわそわ、そわそわ、こころが落ち着かなくなり始めた。


おかしいな?と思って、深呼吸を試す。
すぅ、はあ、すぅ、はあ。
しばらく繰り返すも、根強いそわそわ。


お手洗いにたって、個室のなかで、5分ほど、目を瞑る。
目を瞑りながら、深呼吸。
すぅ、はあ、すぅ、はあ。


むむむ、これでも落ち着かない。


席に戻ると、なぜだか、となりの席の方のことが、妙に気になる。
気になって仕方ない。
昨日までそんなことなかったのに、となりの方の挙動に、あたまが奪われる。
(あれ、また携帯いじってる…)
とかばっかり、目について仕方なかった。


目の前のパソコン画面が、するする、するする、目から滑っていく。
しっかり確認しなくちゃいけないのに、何度も目が滑って、やり直し。


ううん、これはもう、応急処置をしたほうがいいな、と判断した。


上司に断って、イヤホンをつける。
心を落ち着かせたい時に聞くと決めている曲を、小さく小さく、耳元に流す。
頓服薬を、ごくり。
となりの方のことは、あまり視界に入れないように。


目の前のパソコン画面に、集中して。
すぅ、はあ、すぅ、はあ。


30分くらいで、なんとかいつもの自分に戻っていった。



自分のコンディションが悪くなると、目の前のこと、身の回りのことが、まるで自分を攻撃したり、バカにしたりしているように見えてくるし、聞こえてくる。


このときに、悲観的になってしまうと、思考の海からあがれなくなってしまう。



「みんなわたしのことバカにしてるんだ」
とか、
「こんなに一生懸命やっているの、バカみたい」
とか、
なんかそういう、よくない方向に、自分を引っ張ってしまう。


だから、立ち止まる。
お腹にぐっと力を入れて、立ち止まる。


いま見えているもの、聞こえているもの、昨日とちがうのは、なんでだとおもう?
自分にちょっと、聞いてみる。
こんなに手厚くサポートしてくれている会社なのに、どうしてこんなに今日は、針のむしろの気持ちなのか、自分にちょっと、聞いてみる。


わたしにとって、今日は、「すべては自分のコンディション」次第だった。



現実にはもちろん、そうじゃない状況もたくさんある。
それは絶対あるので、そういうことを否定しているわけではないです。
ただただ、今日のわたしはそうだった、ということ。
今日はわたしのコンディション次第で、見えるもの聞こえるものが、くるくる変わる1日でした。


明日はおだやかに過ごせるように。
今日はゆっくりこころを休めよう。

いいなと思ったら応援しよう!

はじめ
投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい