信じるきもち(日記54)
今日は朝からきもちのよい晴れ。
布団にくるまれながらうとうとしていると、なにやら同居人氏2が台所でごそごそしている。
うつらうつらしていると、とんとんとん、と、包丁のこぎみよい音がする。
ほどなくして目を覚ますと、あたたかなスープを作っていて、炊きたてのごはんまであった。
仕事に行く前なのに、お料理をするなんて、すごい!とほめたたえて、おはよう、おはようと、あいさつをする。
同居人氏1はまだ夢の中で、部屋をのぞくと、寝息をたてていた。
自作のおいしいあさごはんをたっぷりと食べて、元気に出発していった、同居人氏2。
いつものように、いってらっしゃい、気をつけて、と、アパートの階段をおりてゆく背中に声をかけた。
カーテンを開けると、冬の青空が広がって、今日は洗濯日和だった。
朝起きてすぐまわしておいた、洗濯機が、ピーピーと鳴る。
ナイスタイミング、と、思いながら、洗濯物を、次々と干していった。
洗い物もして、コーヒーを飲んでひと息ついていると、同居人氏1が、起きてきた。
おはよう、おはよう、と口々に言い合って、日曜日の朝が、おだやかに過ぎてゆく。
午前中は、お気に入りのソファに寝そべって、読書をした。
去年の秋ごろに買った本たちが、ようやく読めるくらい、元気になってきたのだった。
まとめ買いした本たちの、最後の一冊を、今日、読み終えた。
長らく小説が読めなかったのだけれど、今回買ったのは小説ばかりで、そのどれもが、おもしろかった。
読み終えたので、またあたらしく数冊、ネットで購入した。
そうして午前中が過ぎてゆき、同居人氏1とお昼ごはんをおいしく食べたあと、わたしのこころのなかには、ひとつのことが何度もよぎっていた。
それは、午後、「勉強するかどうか」ということ。
就労移行支援に通い始めて、Excelを勉強しているのだけれど、家でも勉強したらいいんじゃないかと思って、年始に2日ほど、勉強の時間を作ってみたのだった。
その2日間は、年末年始の休みのあいだということもあったし、うまく集中できて、ちゃんと勉強することができた。
勉強したことがたのしかったし、自信にもなったし、習慣にしたいな、と思ったのだけれど、就労移行支援が始まってからは、うまく習慣を作れずにいた。
そのことがずっとこころによぎっていて、休みになるたびに、「勉強しようかな」と思っては、行動に移せずにいた。
お昼ごはんを食べ終わったあと、そのことを、同居人氏1にそれとなく話すと、同居人氏1は、
やろうかどうか、迷うようなら、いまはやめておきなさい。いま、◯◯(わたしのこと)が1番に考えなくちゃいけないのは、大切にしなくちゃいけないのは、「療養すること」だよ。なにかをやらなければならないとか、なにかをやるべきだ、という考え方で悩むくらいなら、その時間がもったいないから、ちゃんと休むべきだよ。そうじゃないと、働きはじめたときに、また元に戻っちゃう。○○は真面目だから、就労移行支援に行っているけれど、それだってほんとうは、行かなくてもいいくらいなんだから。やりたい、やろう、と思う気持ちは大切にしつつ、やらなければならない、やるべきだ、という考え方は、手放していけたらいいよね。
と、言った。
わたしは、ハッとして、そうだった、わたしはまだ、「療養中」で、少しずつ元気になっている「途中」なのだったと、思い出した。
こころが落ち着いてきて、自然となにかをしようという気持ちになっていたのだけれど、また自分を、いつのまにか、窮屈なほうへ、窮屈なほうへ、囲い込んでしまうところだった。
同居人氏1と話して、今日ほんとうに勉強したいのかどうか、もう一度考えてみたけれど、わたしのこころは、ほんとうは、「今日は休みたい」と言っていたので、勉強は、やめにした。
それからこころはすっと落ち着いて、運動をしたり、noteを読んだりしながら、おだやかに午後を過ごした。
夕方、同居人氏1と洗濯物を畳みながら、今日はいい1日にできたな、と、思った。
おかえり、と、同居人氏2を迎え入れて、3人でおいしい夕ごはんを食べて、今また、お気に入りのソファに寝そべっている。
窮屈だったこころは、しずかになった。その代わり、おだやかな気持ちが広がって、自分にいじわるしないで、自分の歩幅を信じて、少しずつやってみようという気持ちが湧いている。
今のわたしなら、できる。
きっとできる。
そう信じている。
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