AI vs NI – 保育における生成AIの必要性を問うシンポジウム
2024年、乳幼児教育学会の企画シンポジウム『“生成AI”vs“NI” 生成AIは保育に必要なのか?』が開催されました。
AI技術の進化が急速に進み、保育の現場にもその活用が話題となる中、生成AI(人工知能)とNI(自然知能)のどちらが保育において必要なのかが議論されました。
私は、AI側のシンポジストだったので、せっかくなので、文字起こししたものを、chatGPTで記事にしてみようと思います。
以下に、シンポジウムの企画趣旨、AI派・NI派それぞれの主張、そしてその議論の要点を報告します。
企画趣旨
2022年以降、AIが社会にもたらす影響は大きく強調されましたが、2024年現在、そのインパクトには限界があるとの見方も広がっています。
AIが家電のように当たり前の存在になる中、保育現場ではどのように取り入れるべきかが焦点となりました。
このシンポジウムでは、AIとNIそれぞれの立場から保育実践における可能性と限界を探り、保育の未来について議論が行われました。
AI側の主張
AI派のプレゼンターたちは、保育においてAIを伴奏役として活用することの可能性について話しました。
具体的には以下のような主張がありました:
保育記録の効率化:AIを用いた記録作成が保育者の業務を軽減し、フィードバックやナラティブアセスメントの自動化が可能であること。
リフレクション支援:保育者が自身の実践を振り返る際、AIが対話的に支援し、思考を深める手助けをすること。
新たなインスピレーション:保育の現場で使用するアイデアや表現の生成にAIを利用し、保育者や子どもが持つ感性を補完する役割。
一方で、生成AIの限界や課題も指摘されました。
AIが生み出す情報はデータの偏りに左右されることや、学習内容に依存して一部のコンテンツが定型化する可能性があることが課題として挙げられました。
NI側の主張
NI派(自然知能派)は、人間の感性や経験に基づく保育の重要性を強調しました。
以下のような意見が述べられました:
保育者の「らしさ」:保育者それぞれの個性や経験によって生まれる保育の柔軟性と創造性を大切にすることが、保育の質を高めるという意見。
偶然性と不確実性:AIでは再現しづらい、保育者がその場の雰囲気や子どもの動きに即座に反応する力こそが、子どもたちの成長を促進する要素である。
共感とコミュニティ:保育者と子どもが同じ時間を共有し、同じ社会を生きる仲間として関わることが、AIでは再現しづらい価値を生む。
議論の要点
シンポジウムでは、AIとNIの主張が交錯し、いくつかの重要なポイントが浮かび上がりました。
保育者の成長とAI:AIによって業務効率は向上するが、保育者自身が業務を通じて得る成長機会が減ることへの懸念。特に中堅層の育成が難しくなる可能性が指摘されました。
言語能力とAI:AIの活用は言語能力の高い人に有利であり、保育現場での公平性についても議論されました。AIを頼りすぎると、言語能力の向上の機会が失われるという意見も出ました。
多様性と標準化:AIは標準的な内容を提供しがちですが、多様性を認めるための一助として活用できるのかが問われました。
結論と今後の課題
生成AIは保育者の業務をサポートし、効率化するためのツールとして活用できる可能性を秘めていますが、保育者自身の成長や多様性を重視するNIの視点も不可欠です。AIを導入するにあたり、議論を続けながら、AIが伴奏役としての役割をどこまで担えるのかを探っていく必要があります。
今回は、プロレスをやってください! という依頼だったので、次の記事で場外乱闘に入りたいと思います(笑)
ぜひ、この議論を議題にのせ、生成AIの発展に負けないスピード感で、保育者とは何か? 人間が行える教育とは何かを考えていきたいと思います。