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リトルフェスティバルで見える主体性~子どもたちの“今”を大切にする行事~
今日は年中のリトルフェスティバルが開催されました。
年長のリトルフェスティバルが終わってからの2週間。
年中の子どもたちや保育者とたくさん話をし、私にとっても学びの多い時間となりました。
今回は、保育者が「遊びを見せる」ということに奮闘した2週間と、行事の本質について書いてみたいと思います。
子どもたちが本当に楽しんでいることとは?
年中のチームとリトルフェスティバルに向けて話を開始したころ。
その中で最初に出てきたのは、リトルフェスティバルの原型となるような遊び。
しかし、あるクラスでは、提案される遊びのほとんどが「相手とやりとりをする遊び」ばかりでした。
例えば、お店屋さんごっこや、観客に向けた紹介形式の遊びです。
もちろん、こうした遊びがダメなわけではありません。
ただ、子どもたちが本当に楽しんでいることを集めていった結果が、すべて対話を必要とする遊びになるのは、少し不自然に感じました。
対話というと一見素敵な響きがありますが、相手から「すごいね」「おもしろい」と評価をされることで成り立つ遊びとも言える部分があります。
特に、リトルフェスティバルのように、保護者に見せるという行事の時に、保育者が「お店屋さん」を強く推してくる場合、今遊んでいる遊びを見せやすくアレンジした結果、「お店屋さん」となる場合があるので要注意です。
そこで改めて話をじっくり聞いてみると、「作ることが楽しい」「縄跳びをするのが好き」「戦うのが面白い」など、遊びの本質は別のところにあることがわかりました。
では、なぜリトルフェスティバルとなると、お店屋さんや紹介形式の遊びにアレンジしたくなってしまうのでしょうか。
それは、「発表会のイメージ」が根底にあるからだと思います。
リトルフェスティバルの本質
向山こども園のリトルフェスティバルは、「子どもたちが今、楽しいと思うことに全力で取り組む場」として位置づけています。
しかし、発表会という言葉には「練習の成果を披露するもの」というイメージが強く、多くの大人(保育者のみならず保護者も)がそれを前提に考えがちです。
この背景には、私たちが幼児性健忘により忘れ去ってしまう幼児期の経験ではなく、記憶に残っている小学校以降の記憶をもとに、行事のイメージをするからだと私は考えています。
そんな私たちの記憶に残る日本の学校教育の歴史について、ちょっとだけ見てみましょう。
小学校教育の成り立ちと発表会の位置づけ
現在の小学校教育の基盤は、明治時代に整えられました。
当時の学校制度は、国民を統一的に教育し、社会に適応できる人材を育てることを目的としていました。
日本の近代教育は、産業革命の影響を受けた欧米の教育制度を取り入れつつ、独自の発展を遂げてきましたが、その根底には「知識を効率よく習得し、均一に学ぶ」という考え方がありました。
また、学校での学び方は「先生が前に立ち、生徒が黒板を見ながら授業を受ける」というスクール形式が一般的になりました。
これは一斉指導を前提としており、一人の教師ができるだけ多くの子どもたちを、同じカリキュラムのもとで教育するための方法として採用されました。
加えて、明治以降の日本の教育には、軍隊の訓練方式の影響も見られます。特に運動会や集団行動を伴う発表会は、旧日本陸軍の軍事訓練の影響を受けたもので「統制の取れた行動」を重視する教育の一環として普及しました。
そのため、発表会=「練習を重ね、揃った演技を披露するもの」「忍耐して行うもの」という認識が根付いていきました。
多くの人が発表会と聞くと、整列してセリフを言ったり、動きを揃えたりする場面を想像するのは、このような歴史的背景があるからです。
もちろんこれらの教育は、旧式の教育になるので、学びを深め先進的な取り組みをしている多くの教育者は、こんな変な行事や教育手法はもうやめています。
ただし、時代に合わない古い教育を妄信的に信じ、しがみつき、いまだに、子どもたちに苦行を強いることに生き甲斐を持つ教育者や学校もまだあることから、あたかも、旧式の教育がよいと誤解してしまう方が後を絶たないのです。
現代の教育の変化と「主体性」
しかし、現在の教育では「主体性」がより重視されています。
これは、子どもたちが自ら学び、考え、行動することが求められる時代になったからです。
これは、情報社会の発展や、価値観の多様化による影響が大きいと考えられます。
従来の「決められたことを正しくできる」「善悪の判断をせず、上官や上司の命令を素直に遂行できる」ことが評価される教育から、「自分のやりたいことを見つけ、試行錯誤しながら形にする」「自己決定し、自律的に学ぶ」教育へとシフトしつつあります。
例えば、アクティブラーニングの導入や、探究学習の推進などがその一例です。
一部のスポーツの中では、スパルタで過酷な練習をこなすことで、優秀な成績をとる場合がありますが、駅伝や甲子園を見てもわかるように、自ら目標を立て、自律的に練習してきたチームの方が結果を出すことが証明されつつあります。
こうした流れの中で、リトルフェスティバルのあり方も「成果を披露する場」ではなく、「子どもたちが本当にやりたいことに全力で取り組む場」として位置づけられています。
これは、単に発表の形を変えたのではなく、子どもたちが自分の興味・関心をもとに遊びを発展させ、そのプロセスを大切にするという考え方が根底にあるからです。
遊びを通じた学びの本質
子どもにとって「遊び」とは、単なる娯楽ではなく、学びの最も重要な形態の一つです。
自由に遊ぶ中で、子どもたちは主体的に課題を見つけ、試行錯誤を重ねながら解決しようとします。
また、友だちとの関わりを通して、コミュニケーション力や協調性、時には交渉力や問題解決能力を身につけていきます。
リトルフェスティバルで子どもたちが見せてくれた姿も、まさにこうした学びのプロセスそのものです。
例えば、縄跳びを続ける子は、室内で縄跳びのひもは人に当たると危ないからと、ガムテープでオリジナルの縄を作りました。そして、これでは軽い!となって、飾りをつけながら適度な重さにするという、まさに科学的実験を行いながら編み出した縄を使って、新記録を更新しようと何度も挑戦を繰り返し挑戦しました。
恐竜の戦いに夢中になっている子どもたちは、壊すことが楽しくなってしまい、仲間と作り上げた恐竜を壊してしまうということが起こりました。仲間の気持ちを考える機会を作り、自分たちのやりたいことと、仲間の思いを考えながら一緒に遊ぶことに向き合いました。そして、保育者のアシストをもらいながら、ルールを考え、自分たちで秩序を作り出しながら遊びを発展させていました。
お菓子作りに取り組んでいた子どもたちは、どんな形や色にしようかと想像を膨らませながら、材料を工夫して使い、ものづくりの楽しさを存分に味わっていました。
これらの活動は、「何を作ったか」や「どれだけ上手にできたか」が重要なのではなく、「そのプロセスの中でどんな経験をしたのか」が大切なのです。
リトルフェスティバルは未来の学びにつながる
向山こども園のリトルフェスティバルは、まさに現代の教育が目指す方向sのものです。
それは、「決められたことをこなす」のではなく、「自分のやりたいことを見つけ、主体的に取り組む」ことを大切にするという考え方です。
このような経験を積むことが、子どもたちが未来を生きていく上で必要な力を育むことにつながります。これからの社会では、知識を暗記して再現するだけでなく、自分で考え、創造し、新しい価値を生み出す力が求められます。
リトルフェスティバルを通じて、子どもたちは「遊びながら学ぶ」ことの楽しさを体感し、主体的に活動する力を身につけていきます。
だからこそ、当日に何をやるかは子どもたちのみが知っていることになるので、急にやることを変わたり、想定以上の時間がかかったりするのですが、これもとても大切な姿なのです。
そして、それを支える保育者もまた、子どもたちの興味や関心を尊重しながら、環境を整え、見守る力を磨いていってくれました。
子どもたちが生み出した「遊びの発表」
年中のリトルフェスティバル当日の今日、子どもたちは遊びを普段のまま披露しました。
紙粘土を使ってお菓子を作る子、アクリル板に夢中で宇宙の絵を描く子、新記録を出そうと縄跳びに挑戦する子、バンドで楽器を演奏する子――それぞれが自分のこだわりを持ち、楽しんでいました。
クレーンゲームの商品を作って、ただとってもらおうとしていた子どもたちは、生き生きと保育者との対戦をしていましたし、猫ひよこカフェでは、猫やひよこ、シマエナガになりきって、本物の動物のように表現を楽しんでいました。
こうした遊びの様子は、一見すると「発表会」のようには見えないかもしれません。しかし、これは子どもたちが主体的に遊びを展開し、その場で考え、工夫し、仲間とやりとりしながら楽しむ姿そのものです。
保育者の成長
この2週間、保育者たちは「どうすれば子どもたちが本当に楽しいと思っていることを、当日もそのままやれるのか?」という問いに向き合いました。大人の視点で「見せるもの」を作るのではなく、子どもが心から楽しめる環境をどう支えるかを考え続けたのです。
結果として、子どもたちの遊びは、より子どもたちのやりたいものになり、保育者自身も「どんな遊びが広がるのか?」と、ワクワクしながら支えることができました。
見せたい姿があるだけに、それがステージ上で出てこないもどかしや焦りもありながら、子どもたちの遊びに向き合おうと頑張ってくれた保育者たち。この2週間でも大きく成長したように私には感じられます。
「今日やりたいこと」を大切に
リトルフェスティバルで子どもたちは、自分が本当に好きな遊びに没頭しました。そして、それを周囲に見せることで、新しい刺激を受け、次の遊びへとつながっていきます。
ステージに上がるまでの過程には、一緒に遊びたいけれど言い出せなかったり、断られたり、喧嘩をしてしまったりすることもあったでしょう。
それらを乗り越えたからこそ、今日があるのです。
遊びの中で、子どもたちは多くのことを学びます。
自分の「好き」を表明する力、他者と関わる力、新しいことに挑戦する力、――これらは、決められたプログラムの発表よりも、ずっと大きな学びをもたらします。
ご家庭でも、今日のリトルフェスティバルの話をぜひ聞いてみてください。子どもたちが「これが楽しかった!」と話すことは、きっとその子にとって大切な経験になっているはずです。
アーカイブ、明日にはアップする予定なので、こちらもお楽しみに!
長時間見守ってくださった保護者の皆さま、本当にありがとうございました。
そして、保育者の皆さん、子どもと一緒に楽しんでくれてありがとう。