ママはコミュニケーションお化け 第七話
「下問を恥じず」
10月24日
「新入生だってね、女の子らしいよ」
「見たぜ、雪だるまみてぇな奴だった。金髪だったぜ。」
と、ざわつく教室に噂の人が先生に連れ立って入ってきた。
「今日から、幼年組に入ることになったうららさんです。皆さん、よろしゅうしてあげてくださいね」
はーい、と一同は声を張った。
「席は、一番奥で。あとは、わからないことがあれば都度まわりに聞いてみてください」
ウララは、奥の席へスタスタと歩くのだが、周りの視線が熱い。
清田さんに買ってもらったショルダーバッグをまさぐって、筆箱とノートを出すと、スッと席に座る。となりの、年長のように見える男子が「よ、よろしく」と挨拶をした。
「ウララだ、お前は」
「黄袁です」
「お前、他よりも年上に見えるが」
コウエンはクシャッと笑顔になると、「頭のほうが暗くて、中学に行けなくて…」
「ふむ…」
授業が始まり、読み書きそろばんと続いた。ウララは難なくこなしてしまうもので、周りは驚いてばかりいる。
「うららちゃん、どうしてそんなにできるの?」
「父に習った」
「へーお父さんはどこの人?お母さんもロシア人なの?」「なんでここに来たの?」「そうだ、どこから来たの」
「それは……」
言葉の洪水がわっとウララを襲う。教室のみんなはウララに興味を持って人だかりを作っていたのだが、一人、庭先で鳩にパンをやっている人が居た。コウエンである。
放課後、先生に礼をして教室で清田が来るのを待っていた。
「うららちゃんまたねー」と、仲良くなった女子たちに手を振られながら教室に一人になったウララ。
隣の席、コウエンの机をみる。教科書が押し込められた棚から何かと用紙が出ていて汚い。ふと、いたずらごころで紙を引っ張ると、問題の解答用紙やノートなど連なって出てきた。そして、その中には漢字がびっしり書かれてる紙切れがあった。
「なんだこれは…!」
なにかの呪文だろうか。
言いしれぬ“闇”を垣間見たようで、ゾワッと来たウララであったが、それと同時に対抗心が芽生えた。
授業中、よく問題の意味を聞いてきたコウエンを、こんなことも分からないのか、と見下すような心持ちがあったので、そんな奴に私が知らないことを知っているという事態を許せなかったのである。
「ほんとうは分かっていて、あえて知らない素振りをしているなら…しゅくせー対象だな…!」
ウララはその紙切れをじいっと眺めた。
5分くらいしただろうか、教室の本棚から漢字辞典を引っ張り出してきても、その漢字の読み方さえ分からないのだから解読できずに居た。
「くっ…」と、少し悔し涙がでているのを必死に堪える。
そうこうしてるうちに、清田が迎えに来た。
「おーい、ウララ。いい子にしていた…」
清田は、口を結いで肩を震わせながら、「ふぃ、きっよた…」と今にも泣き出しそうなのを我慢しているのを見て取る。
「悪い悪い、遅くなった。寂しかったろう」
やはり、子供だなぁと。「寂しかった」と言いながら抱きついてくるのが…と思った矢先、ウララはコブシを清田に突き出す。
「これ…っ」と言われた手の中には、紙切れがあった。
「読めない…っ」
へっ、と調子を狂わされた清田だが、「貸してみなさい」と、とりあえず取り上げて、くしゃくしゃになったそれを広げて見た。
「これは…すごい詰めて書いてあるけど、同じ文言…なにかの一節だね。どうしたのこれ」
ウララは、深呼吸してなんて書かれているかを問うた。
「えー……家に帰れば、分かるかなぁ」
「…帰る」
「ははは、帰りますか。忘れ物は?」
「ない…」
ウララの書斎机に紙切れと仏語辞典が加わった。
コウエンが紙にびっしり書いていたのは般若心経の一節であった。
掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶
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