当事者のいない社会問題 #HNKS08
どうも、配送あるあるです。
私はただいま、絶賛就活中なのですが、色々な会社の説明会に行き、エントリーシートを書き、面接を受け、ということはあまりしていません。というのも、どうしても入りたい会社があり、そこの採用試験に時間をかけて向き合っているからです。
その会社がソーシャルビジネスに特化した日本でも屈指の会社であり、自分が解決したい社会問題とは何か、本質的な課題は何か、入社したらどんな事業をしたいのか、考えている今日この頃なのであります。
なので今回は、社会問題およびソーシャルビジネスについて、自分の考えを書いてみました。私なんか一介のエセ建築院生が、あれこれ言えるものではないといますが、割といい記事になったと思うので悪しからず、どうか許してください。
それでは。
社会問題の行く末
「社会問題」と聞いて、みなさんはどんな問題を思い浮かべるだろうか。
東南アジア地域を筆頭にした貧困の問題。
地球温暖化・気候変動などの環境問題。
BLMでより世界に広まった黒人差別などの人種差別問題。
LGBTの待遇などのジェンダー問題。
外国人実習生などの労働環境問題。
新型コロナウイルスを筆頭にした感染症問題。
都市と地方における情報・資本などの地域格差問題。
イスラム国・北朝鮮などの国家摩擦問題。
世界における教育格差問題。
海洋プラスチックなどのゴミ問題。
地震・台風など自然からもたらされる災害問題
etc....
私がふと思いついただけでも、こんなにも社会問題があることに改めて驚く。
考えてみると、世の中には色々な社会問題に溢れている。現在進行形で解決に向かっている問題もあれば、逆にどんどん悪くなっているものがある。そして長年解決されないものもあれば、つい最近生まれたばかりの問題もある。簡単には解決することが難しいものばかりで、ほぼすべての問題に人間が関与している。なので人間が生き続ける以上、社会問題を根絶させるというのは、ほぼ不可能な気も正直している。
解決できないならやる意味がない、と考える人も中にはいるのかも知れないが、私は解決しないからこそ、社会問題の解決に取り組む意味があると思っている。というかやりつづけなければならない。続けることに意味があるのだ。それは時代と共に、社会問題も形を変えていくからだ。
変わり続けるものに対して唯一取れる策は、対策を変え続けることだけであり、取り組み続けることが社会にとって一番の価値なのではないだろうか。であるからこそ、途中で匙を投げてしまったらすべてがパーなのだ。
「better than better」という言葉の通り、「今より良くすること」が社会問題の目指すところであり、人間なんかにできる小さな抵抗なのかも知れない。その抵抗のひとつに、ソーシャルビジネスというものも含まれているはずだ、と私は考える。ボーダレス・ジャパンという会社はその「ソーシャルビジネス」においてどの会社よりも特化した企業であり、私自身が今、一番入りたい企業だ。
ビジネスの恩恵と社会
ソーシャルビジネスと聞くと、言葉ばかりが先行し、「社会をよくして金を稼ぐ、稼ごうとしている」と思われがちだ。理想論だとか、世の中そんなに甘くないだとか、そういう声を耳にすることもある。「NPOなどが取り扱っている金にならないけど、社会には必要なもので、稼ぐ方法を考える企業」といったイメージが思い浮かびやすいのだろうか。
恐らくだが、言っていることはあながち間違いではないような気がする。社会問題を少しでもよくすること、お金を稼ぐこと、その両方している会社は存在しているし、金を稼げなければそもそもビジネスにはならない。だが社会をよくすることに関して、お金を稼ぐことはタブーまでは行かないが、経済ではなく行政のするべきことだと考える風潮が少なからずある。
これがあまりソーシャルビジネスが肯定的に捉えられない一因であり、金と社会問題、二つが相容れないものとして、意見の摩擦がよく生じている気がしている。
思うのは、双方における社会問題を捉えるサイズの違いによって、この摩擦が生じているのではないだろうか。
社会問題を大きく捉えるほど、当事者の顔は見えなくなる。解決はおろかこれを取り扱い、一企業が金を稼ぐなんて不可能だと思うのも無理はない。行政に任せておけと言いたくなる気持ちもわかる。
ただ社会問題を大きく捉えてしまうのは、きっとよく知らないからなのだ。黒人差別だって、貧困問題だって、困っているのは個人個人で、それぞれの問題の原因はきっと具体的だ。だが、黒人差別だとか、貧困問題だとか、そう大きく捉えるほど原因は抽象化し、見るべきものを見えなくしている。もしかしたら見たくないからこそ、問題を大きくしているかもしれない。
だからこそソーシャルビジネスにおける肝は「社会問題の細分化」なのだ。
社会問題によって生じる「誰の、どんな現状」を解決するための方法に、ビジネスを用いることをきっとソーシャルビジネスというのだろう。一企業でも扱えるように社会問題を限りなく小さくして、そのひとつの現状に向き合い、事業を考える。だからこそ社会問題によって生じていることに何より神経を注ぎ、調べることがソーシャルビジネスにおけるすべての始まりではないだろうか。一人一人の顔が見えているからこそ、具体的な解決案が見えてくるんだろう。
ソーシャルビジネスは、想像よりもずっとビジネスなのだ。ボーダレスのグループ会社を研究して思ったのは、起業する上でのメリットを自分自身ではなく、社会問題の当事者に焦点を当てている、ということだ。だからこそ、起業する意味をすごく問われ、考えさせられる。この社会課題を解決したいという気持ちだけでは、成り立たない。NPOや行政などではなく、ビジネスというカタチで関わることの意味。つまり起業の恩恵が、当事者の現状を変えるものでなければならない。
起業の恩恵というのが、大きく分けて2つ挙げられると私は考える。
①雇用を生み出すこと
②商品・サービスを生み出すこと
つまり、ソーシャルビジネスは、「雇用を生み出すことで社会課題を解決すること」「生み出したサービス・商品で社会課題を解決すること」に分けられるのではないだろうか。この両方、もしくはどちらかを社会問題によって生じた現状の当事者に向けなければならない。ここが何よりの前提だ。
ボーダレス・ジャパンのグループ会社で例を挙げてみよう。
①雇用を生み出すソーシャルビジネス
貧困地域においては、働きたくても働けない人が多く溢れ、社会問題になっている。そこでビジネスレザーファクトリーという会社を立ち上げ、雇用を生み、貧困層を雇うことで収入を安定させる、ということを事業にしている。
シングルマザーの2人に1人が相対的貧困状態で、少ないパート収入で生計を立てている現状がある。そこでマザーアーチという会社にセカキャリという事業部を立ち上げ、時短勤務でも十分稼げるような雇用、人材紹介のキャリアアドバイザーとしてシングルマザーを雇うことで、収入を安定させ、その課題を解決しようとしている。
以上のように、貧困地域やワーキングプアなどの課題を、起業し雇用を生み、その人たちを雇うことも、ソーシャルビジネスの役割のひとつなのである。生み出す商品やサービスについては、直接誰かの社会問題を解決するものである必要はない。ここもきっと重要な視点である。
②商品・サービスを生み出す
日本にきた外国人が、外国人だからという理由で家を借りられない、という問題がある。そこでボーダレスハウスという会社を立ち上げ、留学に来ている「外国人」と、外国に関心のある「日本人」に「保証人や高い初期費用なく入居でき、国際交流ができる住環境」を提供するサービスを生み出した。
産後うつや児童虐待が年々増えており、その要因の一つとして「母親は自己犠牲してでも子どもや家族を優先すべき」というジェンダーギャップによる無言の同調圧力という問題がある。そこでママライフバランスという会社を立ち上げ、100ママ100通りのママの生き方を応援するコミュニティをつくり、自分に合った子育てをみつけて“心の底から”笑顔になれる母親を増やすためのサービスを展開している。
以上のように、社会問題の渦中にいる人たちの抱えている問題・悩みを、サービスや商品で解決するというのもソーシャルビジネスの役割のひとつだ。当事者にお金を払ってもらい、事業を回すというビジネスモデルであり、多くの人が考えるソーシャルビジネスのイメージに近いのではないか、とも思う。
雇用を生む、サービスを利用してもらうことで、当事者がその課題を解決できた姿が見える、想像できる。それが一番重要なのではないだろうか。ソーシャルビジネスはつくづく人を対象にしたビジネスであり、このつながりを生み出せるのが面白い。そこが、金を稼ぐだけではきっと得られないやりがいなのではないだろうか。
当事者とソーシャルビジネス
しかし、この社会には当事者のいない社会問題というものもある。
例えば、地球温暖化。
地球温暖化における当事者は、どんな人が挙げられるのだろうか。長い目でみたら地球に住む全員の問題であるが、今この瞬間に困っている人はいるのであろうか。北極の氷が解けたことで、明日から生きていけない人はいるのだろうか。自然の影響をもろに受ける農家さん、漁師さんも気温が高くなったからといって、明日から魚が獲れなくなったり、野菜が育たなくなったりすることがあるのだろうか。本当に取り返しのつかないくらい暑くなって、今までの生活ができなくなって初めて、みんな当事者になるのではないだろうか。
例えば、食料自給率。
日本における令和元年の食料自給率は農林水産省によると、カロリーベースだと38%、生産額ベースだと66%だと言われている。国で消費されている食料の38%しか日本は自身で生み出せていない現状なのだが、それに困っている当事者はいるのだろうか。自給率が今より落ちたところでスーパーで食料を買えさえすれば、消費者は困らない。突然食料を輸入できなくなった時にこの国に住む人が困り始めるのであって、今現在そこに悩まされている当事者っているのだろうか。
そして、地方の衰退問題。
この問題こそ、私自身が解決したい社会課題なのだが、地方衰退の当事者とは、一体どんな人たちなのだろうか。地方は今なお人が減り続けているが、それにより誰がどう困っているのだろうか。魅力的な仕事がまちにないからといって、誰かの明日を左右する問題なんだろうか。まちに空き家が増えたからといって、誰かが明日からここに住めなくなるのだろうか。まちに若い人がいなくなったからといって、誰がそこに住むことが不便になるのだろうか。本当に人がいなくなり、手遅れの状態になって、初めて困る問題なんじゃないだろうか。
挙げた以外にも、当事者のいない社会問題はまだまだ存在する。言いたいことは、上記のような社会問題によって、今現在生きていけなくなるほど困っている人はいない、ということだ。そして、それらは予防というカタチでしか対応する術がない。だが、予防というのはなかなか難儀である。というのも感染症対策や受験対策などにおいても、これさえしておけば大丈夫というものは、存在しないからだ。
例えば、インフルエンザになった時、タミフルを摂取すれば有り難いことにほとんどの人が回復することができるが、インフルエンザにならないようにするには、早寝早起き、毎食しっかり食べる、手洗いうがい、十分な睡眠、適度な運動、、、、など、色々しなければならない。起きている問題に対する対策は明確で具体的であるが、起きてない問題に対する対策は幅が広く、いまいち関係性が見えにくい。
そして、子どもの頃にやった防災訓練だったり、今現在のコロナ対策であったりで、常々感じていることだが、予防には身が入らない。とりあえずはやるが、自主的に開催しようとしたり、他の人に参加を呼び掛けたりなどはする気にはならない。当事者ではないからだ。
地球温暖化や地方衰退の問題は、そこに住んでいるすべての人が当事者に当てはまる、と言えるだろう。が、同時にそれは誰も当事者に当てはまらない、ということでもある。全員にとっての問題は、誰かにとっての問題ではないのだ。
当事者の顔が見えない社会問題。それに対する対策は行政に任せるか、不安を煽り意識を変えるようなネガティブなメディアしかないのだろうか。
それでも私は、当事者のいない社会問題こそソーシャルビジネスが一番本領を発揮できる分野なのではないか、と本気で思っている。それはどうしてか。
「企業の目的の定義は一つしかない
それは、顧客を創造することである。」
(P・F・ドラッガー著 『マネジメント』より)
ドラッガーの言葉を借りるとすれば、企業は顧客をつくることができるのだ。ソーシャルビジネスにおける顧客というのは、社会問題の当事者である。順番が逆になるのかもしれないが、顧客を当事者にできることがソーシャルビジネスのものすごい可能性であると思う。当事者がいないならつくればいい。ぺこぱ脳で考えるとそういうことだ。行政だったり、NPOだったりができないことを、企業ならできる。そこが何よりの魅力だ。
言い換えれば、誰を当事者にするのか設定できるとも言える。どんな人たちにその社会問題の当事者として、共に課題解決に働きかけ、主体的に参加してもらうか。もしかしたら、それはもうソーシャルビジネスとは呼べないのかも知れないが、当事者を増やさない限りは、予防の認識が広まっていかないと、新型コロナウイルスでの経験を経て強く思った。社会問題は自分事に成ったその瞬間から、社会の問題から自分自身の問題に変わる。その潮目をソーシャルビジネスは生み出せるのではないか。
自分自身が当事者になり、その輪を近くの人間から少しでつ広げていく、バタフライ効果のように。当事者のいない社会問題において、そのキッカケづくり、動機づけこそソーシャルビジネスの存在意義なのかも知れない。
おわりに
ということで、今回は社会問題、およびソーシャルビジネスについて書いてみました。私は、「地方の雇用の魅力向上」という課題解決に20、30代のキャリアを捧げたいと思い、ボーダレスを志しました。ですが、「これって社会問題ではあるけど、一体誰にとっての社会問題なんだろう」と思いついたことから、この記事は生まれました。そうです、かなり行き詰っています。
正直、この記事を書いている場合ではないのです。が、考えなければならない点・考えすぎて逆に見落としている大事な点を、可視化して頭を整理するためにアウトプットしてみました。思ったより頭が整理されたのが嬉しいというか、「このネガティブな気持ちを、意味のある記事に変換できたこと」が何よりソーシャルグッドだなと、しみじみしています。
まだまだ具体的に何をするべきか曇ったまんまだし、受かってもないのに入りたい会社をばっちり書いてしまったので、これ落ちたら大恥なのですが、「いつかソーシャルビジネスをライフワークにするんだ」と思っていた、そのいつかが今なんだと。少し、震えています。武者震いと言いたかったのですが、そんな綺麗なものでも何でもなく、ただ夢が現実になることにものすごくソワソワし、ビビっています。
それでも、やるしかない。今までしてきた失敗はこの日のためだ、と都合よく自分に言い聞かせて、失敗を成功のステップし向き合うしかない。正直これがうまくいって採用されたとしても、スタートする準備が整ったくらいでしかないのもわかっています。だとしても、ここが自分の転換点になることは間違いない。積み重ねてきたものを、どこまで信じられるのか。答え合わせの日はもうそう遠くない。
ここまで支えてくれた友達たちに、吉報を届けられますように。
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