頼りたいのに、頼れない
反応性愛着障害が抱えるしんどさ
心理学を学ぶ大きなきっかけは、自分が完全なる「愛着障害」であり、「アダルトチルドレン」だと認識したから。
*愛着障害*
「愛着障害」とは、主たる養育者との適切な愛着関係が形成できなかったことによる障害の総称として用いられる心理学用語です。医学・心理学で様々な定義や考え方があり、用語の使い方として正確なコンセンサスがないというのが実情です。
参考HP:https://snabi.jp/article/143
「仕事に生かせる」というのは建前で、ぶっちゃけて言えば、心理学を学んで自分を俯瞰し、しんどさの根幹を探し当て、ラクになりたいと思ったからだ。
先のサイトを参考にすると、私は「反応性アタッチメント障害/反応性愛着障害」にあてはまる。
このタイプの大きな特徴として「しんどいのに、人に頼ることができない」というのがある。
コロナ禍でしんどい時も、歯を食いしばってがんばってしまった。
「弱音を吐いても、どうせ助けてもらえない」とはなから思っているので、嵐が止むのをじっとガマンするのが通常運転。
幼い頃から「ガマンしなさい」と言われて育っているし、弱音を吐いたところで返ってくる言葉は決まっていた。
「あんたに原因がある」
「そんな弱くてどうするの」
「みんなガマンしているんだから」
「あんたが悪い」
「人間はみんな最期は一人なんだから」
「一人で生きていきなさい」
こう言われたら何も言えないよね。
何か大事な話をしようとしても、「ふーん」と言って流されてしまうのがオチなので、だんだん大事なことは言わなくなってしまった。
だから離婚した時も、マンションを買った時も、一切相談はしなかった。
墓参りの際、父に報告はしたけれど。
でもこんなことではいつになってもラクにならず、死ぬまで生きづらさを抱えていくしかないんだよね。
もう抱えているものを一気に放出したい。
還暦を迎えるまでに人を頼れるようになりたい。
そうした思いが高まり、さらにはカウンセリングがきっかけとなり、大学に入学することにした。
口に出して「頼りたい」と言わせてくれ
理想は義母である。
彼女もまた若い頃はしんどいことが多々あったと思うが、今は息子であるオットにすべてをゆだね、ラクに生きている。
「今が一番幸せ」と言える高齢者はそういない。
すばらしいことだと思う。
依存するのは負担になるのでほどほどにしておくが、私も将来的には義母のようにラクに生きていきたい。
働くこと、がんばること、ひとりでいることを強要されるのはもうたくさんだ。
働くことがイヤと言っているのではない。
ひとりでいることも楽しい。
がんばるのだって好きだ。
でももう頼らないことを前提に生活するのはしんどい。
「つらい」「しんどい」と言うことを許して欲しい。
いや、もう許可なんか取りたくない。
言いたいのだ。
だが、私たちのような愛着障害を持つ人間は、「頼ってもいいんだよ」という確固たる信号が見えてもなかなか頼ることができない。
頼ることに対し、罪悪感に似た感情が生起してしまうからだ。
(そうなるように幼い頃からコントロールされている)
そうした障害を改善するには、安心できる関係性を他者と作ること。
夫婦関係や友人関係がそれに当たる。
「頼りたいのに、頼れない」
いきなり頼ることもできないので、まずは信頼できる人にだけ、この一言をストレートに言うようにしてみようと思う。
そこから少しずつ変わっていきそうな気がする。
いや、これを書いている時点でだいぶ変わってきたのかも。
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