排気口/中村ボリ企画公演『人足寄場』が終わった話。
排気口/中村ボリ企画公演『人足寄場』の余韻に浸る間もなく、WSオーディションの新作短篇の台本作業や、終演事務作業だったり、次回公演の事務作業や台本作業の準備に追われている。なので『人足寄場』の記憶がもう既に溶け出している。それは作中に流れていた不穏で不気味なモノの様な溶け出し方というより、春先の、私たちが何度も体験したような、あの散る間の幻想の様な溶け出し方に似ている。
『人足寄場』公演中は幸いな事に怪異じみた出来事には終ぞ出会わなかった。しかし終演後、ガクッと体調を崩してしまった。強い倦怠感と、偏頭痛に数日悩まされて飲酒の最中でもボッーとしてしまう始末。今日に至って少しの快方と相成ったが、それでも不調は未だに残る。もしかして寒暖差アレルギーなのでは?の疑惑も。
しばらくの間ずっと放っておいた虫歯の治療もした。幼少期の激痛を伴う治療体験のお陰で極度の歯医者嫌いの私である。もうこのまま虫歯で歯が無くなっても良いと思っていたが、周りから流石に治して貰えと再三言われ、伊藤計劃『虐殺器官』よろしく、セルフ無痛マキシングを自分の脳みそにあてがい涙目で歯医者に向かったのである。
数十年振りの歯医者にビビりまくりの私は、担当医に懇切丁寧に歯の治療が如何に怖く、痛いのが苦手で、今この場で泣いてしまうほどビビっている事を伝えた。そのような泣き言を聞いていた担当医と歯科助手のその含みのある表情に「あ、これは絶対に優しい顔して痛い治療されるやつだ」と殆ど諦めに近い悟りに達した私はいかに診療台から逃げ出そうかと考え始めたのであるが、蓋を開けてみると10分で虫歯の治療は終わり、痛みは殆ど無かったのである。今の歯科技術と担当医及び歯科助手の方々の手腕に天晴である。なんとも拍子抜けたような帰り道、駅前の喫煙所で煙草を吸う。上に伸びる煙の先に晴天。私はようやく長かった公演の終わりを、その時に、ようやく、感じる事が出来たのであった。
過去のnoteにさんざんぱら書いた通り『人足寄場』は私が6年前に他劇団に書き下ろした作品である。それを中村ボリたっての希望により公演したのが先日まで公演していた排気口/中村ボリ企画公演『人足寄場』であった。演劇でホラーを。それがシンプルな中村ボリのオーダーであった。大のビビりである私が素面でその話に対して乗り気になる訳がないのだが、やはり付き合いの長さが成せる業か、私が程よく泥酔している時に、かような話を持ち出し、酔いの最中に出演者まで決まってしまった。そうすると逃げ場もなくなり、怖さと対峙する2ヶ月が始まったのである。
恐ろしく苦しい台本作業も疲れまくった稽古も喉元過ぎれば何とやら、こうして無事終演を迎えた今となっては懐かしい思い出に変っているのだから不思議だ。本公演とは比べものにならない厳しい予約状況が初日まで続いたが、私たちは稽古場でこれは良い作品であると信じていた。そうして口コミで2日目から爆発的に増えて行った予約や当日券を見るにつけ、良い作品を作れば、ちゃんと観てくれる方々に伝わっていくのだと実感する事も出来た。全てのご来場頂いた方々に本当に尽きない感謝を。それで作られた、見えない花束を。
中村ボリと佐藤暉が演じた民俗研究家とディベート霊能力者は多くの指摘があるように『TRICK』引いては『熱海の捜査官』のバディを元ネタとしているが、本当は手塚治虫『火の鳥・異形編』に登場する左近介と従者の可平から大きな影響を受けている。というよりこの作品の初演自体が私版『火の鳥・異形編』として書いたものである。
中村ちゃんのオーダーである「怖いものである」に応じた結果、『人足寄場』作中の2人は悲惨な結末を迎える訳であるが(この部分の台詞や展開を思い付いた時に私は余りにも悲惨な結末に二日間台本に起こさずに寝かせた)もしもこれが本公演であったならば、可平に相当する中村ボリ演じる民俗学者は生き残っていただろう。『火の鳥・異形編』の可平は無限地獄から抜け出し蓬莱寺を訪れる魑魅魍魎たちを絵に描き残しそれはやがて土佐光信『百鬼夜行絵巻』の源泉となるように、中村ボリ演じる民俗学者も怪談としてあの裏庭での恐怖を言葉として広く伝えていたであろう。怪異の目的が伝播と拡散であるように。
「光の道を歩まなくてはいけない」舞城王太郎『淵の王』の一節である。さらにこちらも引こう「いいか!物語では最後の最後、唐突な展開で文脈をぶっ飛ばして何かが起こることだってあるのだ!」そして「君のために、君のできなかったことを、君の代わりに必ず成し遂げてみせるのだ!
負けず嫌いだった君が、この訳の判らない奴に負けたなんてことにはさせない。俺が君を引き継ぐ。やってやる。」最後に「君と一緒にいて培った俺なりの負けず嫌いを最後の最後まで発揮してやるのだ。」私も本当にそう思う。
台本なんてものを書いていると時々酷く虚しくなってくる。偽物と嘘を本当の光に変える術だけが上手くなっていく自分にどれほどの誠実さがそこに宿っているのか、そんな青臭い思いを抱く時がある。
何かを乗り越える事、乗り越えられない事、楽しい時間が過ぎ去っていく事、もう二度とこんな時間が訪れない事を知りながら踊ること、貴方の幸せや信念を容易く壊してしまう邪悪な者が確かにいる事、怖がる事、恐れる事、逃げ出す事、傷付けてしまう事、傷付く事、手を離す事、改めて手を握り直す事。それから貴方との事、私たちの事。
全員で空想の怖さを生み出した私は、一人で現実的な怖さ=歯医者に向かった。空想の怖さの後に、現実的な怖さがやってきた。
「信じるんです、生きてるんだか死んでるんだが わからない状態だからこそ、信じるんです ポえさんには夢があるんでしょ?それは希望でしょ?
それは目印でしょう?だったら何も考えず 目印に向かって走るんです、信じて走るんです 暗くても怖くても走るんです 走って抜け出さないとダメなんです」
上記は初演時にはあったが今回の『人足寄場』ではカットした台詞だ。かような台詞を書いた私が果たして何も考えずに歯医者に走って向かっていけたのか?それは、トボトボ青ざめた顔で向かって行ったのだが・・・。
『火の鳥・異形編』の可平も無限地獄から走って抜け出す。走る。それは多分、恐怖への対抗なのかもしれない。留まってはいけない。光の道を歩む、否、光の道まで走らなければならない。
最後まで今回の『人足寄場』にはそのような想いを込める事はしなかった。それでも春先に不穏で不気味な輪郭に触れた皆様。出会いと別れの刹那の季節にも、それを振り払うように、あらゆる全てに苦悩し、老い、打ちひしがれても、身体はもとい走れなくても、心だけは走れるように、時間も、空間も、物語も、全てが置き去りになるような走りでもって、桜散る間のこの今を駆け抜けて行って欲しいと願う。
朝は私たちに「幸せになってね」って言いながら色んな強制を迫って私たちはそれに振り回されてため息ついたり酷い言葉で帳消しにしたりする。それでも、それでもなのである。
次回は排気口新作公演『逆光より(仮)』MITAKA“Next”Selection 24th 三鷹市芸術文化センター 星のホールである。出演者を選ぶWSオーディション
がある。まだまだ応募できる。走りだす前の準備体操として是非。宜しくお願いします。
全ての穏やかさを祈って。
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