(短編ふう)見習い悪魔 ハロウィーンに惑う
ハロウィーンの起源は、古代ケルト人の〈サウィン祭〉に遡るらしい。
8世紀、ローマ教皇グレゴリウス3世は11月2日万霊節(=死者の魂に祈る日)の前日、1日を万聖節(= 聖人の日)と定めた。
聖人(1日)と死者(2日)、それらを祈るの前日10月31日、 All Hallows' Eve(=万聖節イブ)と、時期を同じくしたケルトの〈サウィン祭〉が、キリスト教のケルト地方伝来によって融合し、今の仮装の儀式につながったらしい。
ケルト歴において、10月31日は、夏の終わり、11月1日は、新しい1年の始まる冬のはじまりである。
両日を跨ぐ〈サウィン〉の夜。
霊界と現世の境界が薄れる。
秋の収穫の終わり、〈冬の神々〉が力を増し、冷たい季節と共に、死や不幸をもたらす〈霊〉たちがやってくる。
その霊たちを恐れ、焚火を炊き、霊たちに紛れて逃れるため、自らも霊の仮装をした。
それがハロウィーンのもとらしい。
死や不幸をもたらす霊から逃れるために自らもその不吉な霊の仮装をする、という感覚は、ちょっとわからないが、そういうことらしい。
古代ケルト人にとって、自然界と霊界は、調和して存在している。
ここで調和と言うのは、相互に作用しあって〈自然界+霊界=宇宙〉が成立している、というようなイメージだ。〈生+死=宇宙〉という軸でも調和している。輪廻である。
この調和の中にサタンのような〈悪魔〉的概念はない。
苦しみや不幸は、それぞれを象徴する精霊が、調和している宇宙の中で、なんらか振舞って、起こる〈宇宙の現象〉だ。
サウィンの夜には、調和が崩れ、霊界と自然界の境が曖昧に混ざり合う。
古代ケルト人は、この調和の乱れた夜を、畏れた。
現在は、その畏れの仮装は、魔女やお化けになり、焚火はかぼちゃお化けのインテリアになった。
魔女が仮装の定番になったのは中世の魔女狩りの記憶が紛れたからだ。
かぼちゃのお化けは、〈ケチなジャック〉という、〈悪魔〉を騙した結果、天国にも地獄にも行けなくなって暗闇を彷徨う男の伝承があるらしい。これが、どこかで混ざった。
サウィンの夜は、霊界と現世の境界が薄れ、宇宙の濃度が変化する。
染み出してくる霊に紛れようとして仮装する人、かぼちゃのランタン。
見習い悪魔の頭の中は、惑乱する。
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見習い悪魔の小さな頭が惑乱している。
ケルト神話の中に、サタンのような〈悪魔〉は存在しないようだ。
かわりに、知らない精霊や妖精たちがたくさんいる。
〈冬の神々〉って誰だ?
それでいて、彼らは、死や病苦の不幸に襲われる人間の不条理については、無関心だ。
宇宙の法則を追及する近代科学に似ている。
病がなぜおこるのか、パスツールは微生物が原因であることを突き止めた。
科学の物語だ。
その物語に〈善悪〉はない。
それが宇宙だ。
だから、原爆もできちゃう。
では、〈善悪〉はどこから来るのだろうか?
頭にかぶせられた、かぼちゃのかぶり物が邪魔して、うまく思考がまとまらない。
ちぇ。重たいし、なんだかベトベトする。
見習い悪魔は、挿絵の美しい本を、汚さないように閉じた。
〈なにしてんの!あんたも行くわよ!〉
いつのまにか、背後に飛んでいたドローンからヒステリックな声がした。
手の込んだハロウィーン仕様だ。
幼馴染の見習い魔女からの催促である。
図書室で静かに本を読みたかったのに、あんたも行くんだからね、と昼からかぼちゃお化けの仮面をかぶせられた。わざわざ手作りしたらしい。ハロウィーンが終わるまで、脱げない魔法がかかっている。
彼女の魔力は侮れない。案外、優等生なのだ。
自分自身は、いつもよりちょっとおしゃれな魔女を楽しんでいる。
いつもは叱られる化粧も、今夜はおとがめなしだから上機嫌だ。
司書ドロイドは、最初、かぼちゃおばけのマスクをかぶった彼を見て、一瞬、ショートしたように動きをとめたが、すぐに平然と、
「楽しんでますね。」
とドロイドらしく言った。
「いってらっしゃい。」
今は、幼馴染の癇癪を恐れて急ぐ彼を、気の毒そうに、穏やかに見送った。
―了―
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こちらです(4編)。↓
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見習い悪魔は、
ひとを襲う不条理の不思議に悩み、次第に、〈悪〉とは?〈悪魔〉とは?と悩み始めています。右左に蛇行しながら。
どうぞお時間のある時、併せてお読み頂けれるとうれしいです。