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連載小説『私の 母の 物語』十一 (61)

「そら、そう見られてもしゃあないわな。それが嫌やったら散歩せんことや」
「いや、これはこれで俺には必要やねん」
「そやったら、別にガキに何て云われてもかめへんやないか。借金も甲斐性、散歩も甲斐性のうちやと思といたらええ」
 わたしは自分の猪口に銚子の酒を注いだ。飲み始めたら手酌が互いの流儀である。彼は熱燗、わたしはぬる燗が好みだが、両方を用意してもらうのは手間をかけるから、熱燗でたのんでおいてちびちび口をつけながら冷めるのを待つ。酒はようやくわたしの好みの温度になってきた。
「太宰治に『人間失格』ってあったやろ」
「おまえと違て、こっちは経営学部やからな。『走れメロス』ぐらいしか知らんぞ」
「まあその『人間失格』てのがあんねん」
「自分が《人間失格》てか?」
「いや、さすがに人間失格とは云わんけど、少なくとも《大人失格》って感じはする」
 佛は黙って銚子の酒をわたしの猪口に注いだ。
(あちっ!)
 いつの間にか、また新しい銚子がきていた。その酒が冷め、また熱い酒がきて、またその酒が冷めた頃、呂律が回らなくなった。
「ほいでもよ、云ってもらひたいよ。《大人合格!》って」
「親父さんやおふくろさんは云ってくれるんちゃうか、いまのままで」
「親父やおふくろではあかん! 自分の子どもに『しっかあく!』てなことを云う人らやない。そやから親の云う『ごうかふ』なんてのは信憑性がない」
「それやったら、誰に云うてもろたら満足すんねん?」
 そう云われると誰に言われても満足はしないと思われる。わたしの性格では、自分を知る人に云われれば所詮身内の祭典だと素直に受け取れないだろうし、自分を知らない人に云われれば自分のことを知りもしないくせにとひねくれるだろう。
(大人合格)
結局自分でそう思えない限り満足はない。
 夜中、玄関の扉を開けると母がいた。心配で眠れなかったらしい。こんな遅くまで何をしていたかと訊く。今夜は佛と飲むと云っておいたではないかと云うと突然怒り出した。
「いまいったい何時やと思てんのや。こんな遅くまで飲んだくれて。もう佛みたいな不良と遊ぶな!」
 出掛けに話した《不良》ということばのイメージが膨らんで、母の中でまた新しい物語が生まれたようだった。もしかしたら母の頭の中では、三十年前坊主頭だった十五歳の不良中学生の佛と、三十年後禿頭になった四十五歳のわたしが酒を飲んでいたのかもしれない。
 佛への年賀状にこんなコメントを書いた。

  君と一緒に飲んで午前様になった日、
  「佛のような不良と遊ぶな!」と母にこっぴどく叱られました。
  わたしも四十五にしてやっと不良の仲間入りができたようです。

 年が明けて、佛からメールがきた。年賀状のコメントを読んで、細君と腹を抱えて笑ったそうだ。
 思えば中学一年で下宿して以来、母はわたしを叱らなくなった。わたしが母に叱られたのは、小学生以来のことであった。(続く

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