見出し画像

連載小説『私の 母の 物語』 六 (36)

 公民館のある公園には桜の木が五本植えられていて、花の頃には蜜蜂の羽音に包まれる。母と据え付けてある遊具に腰かけて、やわらかな陽光を浴びながら、しばし花を眺める。ときにそこから姉に携帯電話をかけることもある。花びらの舞い散る中で、姉と話す母は本当に楽しそうだ。胸の中でうれしさとさびしさが交錯する。身体のケアは父が、こころのケアは姉がしている。わたしが出来るのは一緒に歩くことぐらいだ。もっとも姉は姉で、電話で話すことぐらいしか出来ないことをもどかしく思っているようであるが・・・。
 小さな川は護岸をコンクリートで固めた用水路といった趣きで、生活用水が流れ込み、ごみも目立ち、美しい川とは云えない。しかし、この川にはたくさんの生き物が息づいている。鯉、亀、青鷺、そして鴨、その他にも名の知れない小魚や小鳥が、流れの中や岸の灌木や水草の中をさかんに動き回っていた。
 動物好きの母は鯉でも亀でも眺め飽きないようだった。鯉はざっと数えても百匹はいそうである。ほぼすべてが黒鯉であったが、稀に緋鯉や錦鯉が一匹混ざっていることがある。母はそれを喜び、誰かに捕られはしないかと心配した。亀も常に二、三十匹見かける。大きな亀と小さな亀が一緒にいると、母はきまってあれは親子だと云った。わたしには違う種類に見える二匹の亀も、大きさが違えば母は親子だと決めつけていた。
 五月、鯉は産卵のために小川を遡上し、浅瀬で数匹が身を寄せ合って激しく尾鰭を動かしている。わたしの目には魚の世界も鳥の世界も、純粋にいのちをつなぐための営みに見える。特に雄が自分の子孫を残そうとする行為には、哀しいほどの懸命さがある。バシャバシャと鯉が尾鰭で水をたたく音を聞きながら、わたしはこの鯉のようにはなれそうもないと思う。
「ありゃ何しよんのよ?」
「鯉が卵産んでんのよ」
「鯉っていうんは、あんなに何匹も集まって卵産むもんなんかよ?」
「一匹の雌に雄が群がって、なんとか自分の子孫を残そうとしよんのよ」
「そうかよ!・・・・・・」
   わたしは母が、おまえも早く結婚して子孫を残せと云い出さないか、内心ひやひやした。水をたたく音が自分を打っているように思えてくる。
 六月、鴨の雛が七羽孵った。小川の護岸の上を黄色い足を見え隠れさせながら親鳥について歩いていく。川下に下る途中に段差が五十センチほどの小さな堰堤がある。七羽のうち五羽までは親鳥の後を追ってなんなく水の滑り台を降りたが、あとの二羽が怖がって降りられない。何度も際まで行くが下に流されそうになるとあわてて水かきを動かして一、二メートル後退する。母鴨は早く来いというように鳴いている。先に行った兄弟たちもピーピー鳴くが、二羽はなかなか合流出来ない。ようやく意を決したように一羽が滑りおりる。残された一羽だけが何度も何度も堰堤の上のプールで円を描いている。
「ほれ、がんばれ! もうちょっと!」
母は子鴨を応援していたが、わたしのほうに向き直って
「子どもっていうんは皆おんなじで見分けつかんなあ」
と云った。
「人間の赤ん坊も動物と一緒で、生まれたときや皆同じ顔しとる。おまえや生まれたときもそうやって、おかちゃんおまえや他の子どもとすり替えられへんかと思て、気が気でなかったよ」(続く
 
   

いいなと思ったら応援しよう!