短歌「母の寝息」
目覚めをるときにも増して眠りをる母の寝息にいのちの気配
母が目覚めているとき、おむつを替えたり、食事の介助をしたりしているときには、「生きている」ということは前提であって、便の出具合や食事の進み具合を見て「調子がいいかどうか」を見ているので、殊更母のいのちを意識をすることはない。
むしろ眠りについて寝息をたてているときに、「ああ、今日も母は生き延びたのだなあ」と母のいのちを感じることが多かった。先日、記したことと重複するが、亡くなって納棺の日までの二夜を母の隣で眠ったときには、寝息の聞こえてこないことで、一つのいのちが終わったことを実感した。
母の寝息を聞いているときは、私にとって幸せな時間の一つだった。