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東北地方新発見

東北地方新発見

普通、診察後医者が患者に処方箋を出す。

ちょっと想像力を発揮して、私が自分に対して処方箋を出してみた。

コロナも下火になり、やっとだいぶ元の生活が戻ってきた。 

けれど、誰にとっても同じであるが、二年間は長かった。 

コロナ中の生活が、いつの間にか習慣化していて、新たな予定作成は思ったより難しい気がする。

疫病中は、断然一人で過ごす時間が多く、人間には習慣性があるのか、それが日常化していた。

少しづつ、新しい予定表を作って見るのは、自分に対する処方箋を出すようなものだと思う。

でも、二年間は間違いなく過ぎ去り、 高齢化も二年進んだ事実に直面している。

人より遅く完全に退職した分、頭では自分の年齢をわかっているつもりである。

最近まで身体の支障もあまり感じなくて済んだ分、 自分が、「毎日歳を取っていると言う単純な事実にさえ、目を瞑っていた傾向がある」と、思い当たった。

生まれたての赤ちゃんも2年経てば、 しっかり母親の周りを走り回る事ができる位成長している。

高齢者の場合は、二年前に難なくできた事も、二年後、身体の老化を感じてしまう場合も多いのだ。

自分への処方箋を書くぞ。  できない点を強調せず、 まだまだ一人でできる事が多い筈だ。 

できる事に全精神を集中して、呪文のように、「まだ呼吸ができる。 何と有り難い事だ。」

とか、「まだ、何でも美味しく食べられるのは有り難い。」とか、

「携帯電話の文字もメガネ無しで読め、書物も読め、文章も書ける。何と有り難いことだ。」と感謝したい。

今日も、「一万歩程歩ける」とは、素晴らしい。

高齢化した今は、自分の能力を、一つ一つ挙げて褒め称えて良い。

海辺近くの生活を選んだ自分を褒めて良い。 お陰で毎日が快適なのだ。

人生の最後に、新築のコンドを選んで良かった。全てが新しく、掃除も楽なのだ。

今、わたしに出す処方箋は、 「ゆっくり焦らず、この地上での生活を満喫せよ。」と言う事だろう。

そうそう、 まだ動けるうちに、母国訪問の夢を果たして、温泉三昧♨️も楽しんで見るのも良い。

合計訳14年も、実際に生活していた仙台であるが、 何と知らない事が多いのだろう。 

東北人の端くれであるが、 私は残念ながらほとんど東北も知らない。

もちろん、時の流れと同時に人間同様、地方も面変わりするのは当然だ。  

でも、変わらない基本的な事でも、無知すぎる事を痛感している。

自分の生まれ育った地方を「知る努力をせよ。」と言う、自然からの優しい背中の一押しだと感じた事が、今回の旅の収穫の一つだ。

2ヶ月強の東北旅行のご褒美を自分に与えた。


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