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逃げ出しいときもある…通い介護生活に休日を-母から離れ、日常から離れ

こんにちは!いこです。時間が経つのが遅いような早いような、気づけば前回の投稿から1ヵ月以上も経っているではありませんか。

今回の記事は、少し書いては放置、少し書いては放置を繰り返し、なかなか書き上げることができませんでした。何となく語り始めたと思ったら、何となく語り続けてた、そのような文章ですから、ふわりふわりしていてどこに着地するのか私自身もよく分からなかったのですが、(あ、ここが落としどころだったのか!)という地点がついにやって来たので、この度やっとの投稿と相成りました。

内容は、大そうなことはしておりませんが、一応家族を介護する者でもある私がここ一か月の間、日頃腹にもっていた正直な思いであるとか、そのために起こっていた負のスパイラルであるとか、それを解消してくれたある方法についてのお話しです。



母と長ーーーく、終わりなき通い介護生活

この春、母は体調を崩し半月ほど入院していましたが、無事退院。現在、娘(私)が入り浸る、自宅での療養生活を送っています。

退院して2週間後の通院日には、母の栄養状態は入院中より良くなっていると主治医から告げられました。母が自宅での生活を満喫し、元気を取り戻してくれるなら、私も通い介護し甲斐があるというものです。

とはいえ、常に「痛い、痛い」で「ダメだ、しんどい」が口癖になった母と一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど、私の方は徐々に元気を失っていきそうです。入院直前にはそんな母と居る時間が耐え難くなっていたことも事実でした。退院して母との生活が再開すれば、またあの精神的窮地に陥るのではという不安もあり、心から母の退院を喜べない部分が多少なりともあったことをここに白状します。

退院後の母は入院前程強い痛みに襲われることはなくなりましたが、ベッドで過ごす時間が日中も殆どとなり、あんなに好きだったテレビを観る時間もギュギュギュッと短縮するほどに眠りこけ、結果、苦痛を訴える時間もギュッと短縮しました。

ラジオの音が漏れ出る母の寝室の隣の居間で、私は気ままに一人過ごす時間を持てるようになりました。これまではテレビがうるさく気が散ってしまい、何かやろうにも集中できませんでしたし、それ以前に自分の時間なんてなかったか。つくりおきや掃除等々いつもやることがいっぱいで、日によってはクタクタになるほど(体力があまりないので)。ですが、ついにそのような労働めいっぱいの通い介護生活から脱却。母の家では、楽できるようになりました。

というと、なんだか一件落着のように聞こえてしまいそうですが、いえ、むしろ私の疲労感は確実に増していました。というのも、母の家で過ごす滞在日数が、これ以上はないほどに増えてしまったからです。母の家で過ごす一日がどんなに楽であっても、ここから離れられない、だとしたら私は囚われの身、そんなマインドに囚われてしまっては逃げ出したくなるのも当然です。「帰りたい」と頭の中で泣き言を吐いては、無数のため息をつき続けていました。


ギューーーっと圧縮、プハーーーっと解放!

母の家から離れて丸一日自由に過ごせる休日は、週に一日だけ。自宅で夫と夕食を共にできるのも二晩だけ。自宅のベッドで眠れるのも二晩だけ。自宅の掃除や洗濯をするにも、外出するにも、用事を済ませるにも、ギリギリの時間しか私には残されていないのです。

週の大半を母の家で過ごすのですから、この日やらなければいけないという母の家での家事量は格段に減りました。以前は母の家を空ける前に、つくりおきをたくさんして、これもして、あれもして、と忙しく家事をこなしていました。それが今では当然、つくりおきをたくさんする必要はなく、また、これもあれもいつでもできるのだからいつでもいい、今日はただのんびり、母と生活してさえいればOKという毎日。ですが、そのしわ寄せがいくのは、私の体と心の健やかさを保つために必須である、母の家以外で過ごすリフレッシュタイムです。私の大事な時間がギュウギュウに圧縮されてしまったのです。

それでも叔母(母の姉)が私に代わって母の家に居てくれる二泊三日を自由に過ごせるのであれば、何とか成り立っていたのです。ですが、事情によりそれすら叶わなかったとき、または、追加のストレスに見舞われたときや体調が優れないとき、私の精神的な疲労度はぐんっと高まり、イライラが止まらない、母に優しくできない、笑顔で接してあげられない、そんな自分に自己嫌悪する、泣きたくもなる、密かに泣くも癒えず、しんどく、逃げたくても逃げられない……こんな心理的窮地に追い込まれていくのです。

このような状態は身に覚えがありました。ハードワークでボロボロになった二十代のいつかのことを思い出し、これが続けば心を病むのは確実であると不安にもなりました。そんなことになったら、どうなる?母はどうなる?共倒れだけは避けなくてはいけない。私は決して倒れられないんだ。そんなプレッシャーがさらなる不安を呼ぶのでしょう。

ですが先日、2週間ぶりのとっておきの休日を過ごすと、私の心は一新されました。その少し前からホルモンバランスの安定とともにイライラも止み、体調不良も解消フェーズに入っていたところに、最高のリフレッシュタイムがやってきたのです。やっぱり温泉はいいですね。

「プッハ――――っ!!!」

温泉のあとのビールも最高です。温泉旅館での滞在を一泊二日、短いながらめいっぱい満喫してきました。ときに日常から離れる、母から離れる、それが私の心と体の健やかさには欠かせないことであるのだと、改めて実感しました。

温泉に浸かってるかのようなねこ。母の入院中、我が家で過ごす午前のひと時。日向ぼっこしてぽかぽか。母と一時も離れたくないねこですが、心も体も健やかに、母の帰りを待てました。

「無理しない」が無理なとき

家族介護者にとって避けては通れないものなのでしょうか。離れられない、逃げられない、そのような心理的プレッシャーを密かに抱え苦しむも、どうしようもない状況の中どうしようもできず、苦しみを抱え続け、苛立ちとなって発露する。または、体調不良を引き起こす、それがまたストレスとなり……こんな負のスパイラル。私は、母から離れられないのだと思えば思うほど、この生活から逃げ出すことなんてできないのだからと自分を納得させようとすればするほど、心も体も抵抗し、苛立ちと不定愁訴を引き起こす、そのような状態に陥っていました。私を追い込んでいたのは、紛れもなく私自身でした。

無理しないがモットーの私でさえも、家族介護において、無理しないことを貫き通すなんてできないときは確実にあります。そんなこと言ってられないこともあるのだと、この一年で身に染みました。無理して無理しない自分でいようとすると、それこそ無理がたたるのです。

「無理しないでね」なんて、簡単には言えないなと今では思います。だって、無理したくないのはやまやまだけど、せざるを得ない、だから、「頑張ってるね、いつもありがとう」と言ってあげたい。私にも、あなたにも。

これからは、もっと温泉に行こうと思います。頑張ってる自分を十二分に労って、これからもご機嫌な通い介護生活を続けていきたいと思います。

温泉の効果的な入り方は、休み休み短い時間で回数入るのがいいようですね。先日、そのように温泉に入ったら、心だけでなく体の調子までだいぶ整いました。温泉の良さを改めて実感。早速、次回の温泉旅行を計画しています。宿の予約取らなくっちゃ。今から楽しみ!


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