#023 母暮ALS 体重が戻らない
上京以来、多少前後ありつつも、摂取カロリーの工夫をしながらずっと維持していた43キロ台からついに41キロ台から抜け出せないようになり、今やすっかり定着してしまった。顔やもものお肉が減ってしまっている。
これは、8月29日の明け方に下痢になり、そこからはじまった体重減少。それまでは41キロ台になっても、カロリー摂取を積極的にしてまた少しずつ元に戻してコントロールできていたのだけど、もういまやそれも難しい。
すっかり口からモノを食べることが嫌になってしまっている。ALS患者の球麻痺や飲み込みがうまくいかないとかいうのではなく、口から食べると気持ちが悪くなり戻ってくるようだといって嫌がる。食べたくない、食べようと思えないと言う。
なので胃瘻の回数が増えていく。今は日に2〜3回胃瘻でラコールやエンシュアを入れている。ラコールは空気で膨らませる道具を使って20分から25分かけて胃に栄養を入れるのだけど、エンシュアは私が注射器型の容器でゆっくりと時間をかけて押し入れる。しかしゆっくりやっているつもりでもそのスピードが早いのが、入れた後に母の具合が悪くなることがある。原因はわからない、エンシュアそのものにもう飽きて吐き気がするのかもしれないし、根本的には不明。考えられるのはスピードなのかと推察すると、その推察にとらわれた母がスピードが原因だと言う。とにかく気持ちが悪くて具合が悪くてどうしようもない状態になって苦しむ。苦しむ様子を見ているのは辛い。何もできない、酸素を口のあたりに当てて、呼吸に合わせて吐くときに胸の上に手のひらで圧をかけて押すくらい。苦しそうな表情で足をバタバタさせて体をよじったりする。どう痛いのか聞いても「わからない説明できないこのへんがもう苦しくて気も持ち悪くてどうしたらいいの」と言う。時間が治してくれるのをただ祈りながら心を無にして待つしかない。
困ったとき、手が足りないとき、助けて欲しいとき、今までなんでも母に頼ってきた。こんなときには一番に母に相談したいのだ。「どうする?」「救急車呼ぶ?」「様子みる?」と、そう父の介護のときは母に聞けば何でもわかって解決してくれていた。それも嫌な顔ひとつせず、どんなときもすぐに動いてくれる人だった。家のことは母に聞けば何でもしてくれた。それが母親だった。私のいちばんの理解者で相談相手の母が今は隣にいない。相談したいことは母の病気のこと。
母はベッドの上にいて苦しんでいる。母の知恵や助けが欲しい。なのに母は横になって、病人になってしまった。「もう私は何も考えられない、全部任せるわ」と言う。もっと母と対等に話をして、旅行や食事にでかけて、一緒に平和で豊かな時間を過ごしたかった。苦労してきた母に、晩年は贅沢な気分をさせて甘やかせて旅行や食事にたくさん連れて行ってあげようと決めていたのに。母は22歳で私を産んでいるので私の母としては若い。だから老後に体力が十分あるはずだった。だからたくさん一緒にいろんなことができると思っていた。しかしそれは去年の冬に突然奪われた。もうイメージしていた楽しい計画の親孝行はできなくなった。私の親孝行は精一杯介護をすることになった。
考えてみると、食事や旅行よりも介護という親孝行は有り難くてむしろ価値があるのではないのかと気づく。しかし正直、自分を試される場面は多く、忍耐が必要で地味な毎日の繰り返し。でもALSは最後が決まっている。今やれることやりたいことを整理して後悔のないようにしなければと、実は毎晩寝る前に考えているのだけれど、うまくはなかなか答えが見えてこない。時間がない病気なのに、そう、時間がないのだ。
脱線したけれど話を戻すと。ALSの残酷な時間に対抗するひとつの手立ては体重維持にある。だから体重減少は文字通りの死活問題。なんとか増加させたい。