#022 母暮ALS 選挙に行った
選挙に行ったというより、行けた!って感じ。達成感と充実感を味わう。
いつかこのnoteを読み返すときに時代感があったほうがいいかと思い、社会的な動きも少し書いておこうかと思った。
10月27日(日)衆議院選挙があった。前回7月にあった都知事選のときよりも母の体力は落ちていたので、本人は「行かない、行けない、もう無理」と言っていた。私も無理強いするつもりはなくお散歩ついでに投票に行けたらいいなと思っていた。というのもやはり社会的なことに参加しなくなったら病気がすすむような気がしていたので、なるべくなら行って社会の一員であることを味わってほしいと考えていた。
「行けない」と言うので否定もせず、自分が期日前投票に行くタイミングで「お散歩がてら行ってみようか、車いすで座っているだけでいいんだから行くだけ行こう」と誘った。ちょうど兄弟も来ていたので一緒に出かけるというついで感がよかった。
投票場では母は案内係の方と一緒にまわって、自分でゆっくり時間をかけて文字を書いたらしい。私は出口のところでしばらく待っていた。私が小さい時から美しい文字を書くのが自慢で筆まめだった母も、今では力のないふるえた字をなんとかギリギリ無理をして書けるくらいになったしまった。「こんな字で読めるかしら」と案内の人に聞くと「大丈夫ですよ、あら私見ちゃったわ」なんて言われた「見られたっていいわよ」と笑って話してくれた。家族でも票をどこへ投じるのかはおのおの別なので、私と母とはそれぞれ違うところにいれている。
投票を終えて気分が良くなったのか夜風にあたりながら、兄弟を見送ると言い遠回りをして帰宅することに。出かける前は「しんどい、つらい、外出なんてできるかしら」と後ろ向きな発言ばかりだったけど、出かけてしまえば気分が変わり体調もよくなる。家の中で私とふたりだけで関わっていては刺激もなく気持ちも病気のことばかり考えて沈む。やはり外出できるときはしなければいけないとつくづく思う。本人が嫌がるのでなかなかできないのだけれど……。だからこのように選挙だとか、何か理由があると私も助かるし、母も目的のある外出の方が達成感、充実感があり、そして社会性を持ち続けることに大きな意味があると思う。人間は社会的な生き物であるのだから。
さて、選挙に行ったので、夜の開票番組を観る時間も楽しめるというおまけもある。自分が入れた候補者や党がどうなっているかリアルタイムで増えていく数字を見ながら、夫婦と母であれこれ言って過ごすことができた。これはまるでスポーツ観戦と似ているなと感じた。投票に行っていなかったらこの社会的な時間は得られなかっただろう。あらためて母を連れ出してよかったと思う夜だった。