【日本史】職場恋愛NG!遊女屋内での恋愛はご法度だった!?
こんばんは、瑠奈です!
本日は久しぶりに日本史シリーズでございます~~!
今回は遊女屋内での恋沙汰についてです。
良かったら最後まで読んでね~~。
遊女屋内での恋愛は禁止されていた
タイトルにもある通りすぎますが、、、
遊女屋内において、遊女との恋沙汰は固く禁じられていた。
恋沙汰というより、性的関係の方が正しいかもしれない。
妓楼内において、客以外に、遊女と性的関係を持つような存在はいたのか。
紹介しましょう。
○遊女屋内に居た男性陣とは?
妓楼で働く男性陣について紹介しますね。
・楼主
遊女屋の経営者。一番偉い人。社長、CEO、代表取締役。
・若い衆
年齢に関係なく、妓楼で働く男の奉公人を総称して「若い衆」「若い者」と呼ばれた。50代~60代の若い衆もいたらしい。
若い衆の筆頭は、「番頭」と呼ばれ、楼主に決算報告をしたり、金銀の出納を管理したりする、妓楼内の経理担当。
他にも、遊女屋の表まわりを担当した「見世番」や遊女屋に二階を取り仕切る「二階廻し」という役割が若い衆にはあった。
・雇い人
若い衆のように接客をしない男の奉公人のこと。
遊女屋のキッチン担当は「料理番」。他にも「風呂番」や「不寝番(ねずのばん)」という遊女屋の二階で、拍子木を打ちながら時刻を告げる奉公人もいた。
○なぜ内部の性が禁止されていたのか?
上記の通り、遊女屋には男性陣も働いていたのだ。
妓楼内での若い衆や雇い人は、自分が奉公している妓楼の、遊女と性的関係を持つことを禁止されていた。
その理由は、妓楼内での秩序を守るためとされる。
とはいえ、吉原遊廓。
淫蕩な雰囲気が漂い、酒宴などで気が緩む場面も多いため、間違いは後を絶たなかった。
裏茶屋を利用したり、妓楼内の行燈部屋で逢瀬を重ねることもあった。
裏茶屋については、こちらの記事で書いてるよ~。
良かったら読んでね!
もしこの掟を破ったら?
この禁令を破ると、遊女は、他の遊女屋に移される鞍替えをさせられたそうだ。
若い衆においては、ひどい制裁を受け、奉公人は吉原から追放されたという。
そのため、若い者たちは、揚代も安く、吉原からそれほど遠くない小塚原の遊里で、女郎買いをしたわけである。
遊女は、客に間夫(彼氏?好きな人的な?)がいたと言われますが、お店内に間夫がいた遊女もいたと勝手ながら思っています。
現代でも、キャバ嬢とボーイの恋愛はご法度といいますが、それに近いかもしれませんね。
職場恋愛NG界隈。
遊女について考えると、今と昔、構造的にはなんら変わっていないな~と思うことが多々あります。
なんなら、文明が発達しまっくている現代のほうが酷いのでは?って思うこともありますね~~!
今回はこの辺で!
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