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【日本史】吉原遊女の高い教養~吉原クオリティ~

花魁とか聞くと、みなさんはどういうイメージが連想されますか?

きれい?派手?着物の帯は前にきてる?とかかな。

高級な遊女は見た目だけではなかったんです。

機転も利くし、芸事にも長けていたんですよ!

今回はそんな吉原遊女の高い教養について紹介します!


◎吉原の高級遊女の教養とは

大身の武士や豪商、文化人の上客を虜にするには、美貌だけでなく、それなりの教養も求められた。

遊女の中にも、はしたなく騒いだり、無遠慮に押しかけたりする者のいたが、太夫などの高級遊女ともなれば、身のこなしから品があり、魅力的であった。



太夫は一体どのような教養があったのか?

高級遊女を太夫といったが、太夫は元来、芸能の上での名で、歌舞に優れた者のことを称した。

遊女の太夫は、美貌を持ち合わせていることはもちろん、読み書きができ、書道、生け花、茶道、和歌、俳句、琴、三味線、囲碁・将棋などあらゆる方面に通じ、総じて高貴な人の席に出ても恥ずかしくない教養を身につけていたのだ。

それに加え、酒が適度に飲めて、人の悪口を言わず、お金の話をせず、腹が座り、ちょっとのことで動じない、下の者に優しいなども良い遊女の条件だった。


どのように教養を身につけたのか?

幼い頃に売られてきた子には、禿時代に手習いをさせ、読み書きを習得させられた。手習いの師匠が遊女屋まで来て、禿に字を教えたのである。

遊女は、外に出ることができないため、各種の師匠を遊女屋まで招き、出張授業をしてもらった。

遊女屋は遊女の商品価値を高めるために、教育環境を整えた。貧農の家に生まれた、教育を受けてこれなかった子でも、遊女屋は教育に力をいれ、読み書きができるようにした。

前の記事でも、紹介したが、手紙が重要な営業方法であったからだろう。

女性の識字率が低かった時代に、吉原の遊女たちは、ほぼほぼ全員が読み書きができた。吉原クオリティ吉原ブランドである。

(現代でも銀座のホステスさんは、新聞を読んで時事問題にも詳しく、教養があるとか言いますよね。それに少し近いかもしれません。)



幅広い教養を持つ吉原遊女たち

遊女評判記『傾城觿』(天保8年)には、遊女屋6軒、合わせて29名の遊女の品定めが書かれている。[1]

松葉屋 瀬川  書、茶、和歌、香、琴
丁子屋 唐琴  琴、香、画
扇屋     滝川  茶、琴、香、碁、双六
扇屋     湖光  茶、書、琴、三味線、香

山東京伝 遊女評判記『傾城觿』(天保8年)

松葉屋の瀬川さんは書、茶、和歌、香、琴が得意だったようだ。
香とは、香道のことで、公家が愛したとも言われるいわゆる京文化である。

これだけ特技があるってすごい。

ほかにも中万字屋の玉菊は、教養だけでなく、当時の流行にも敏感だったため得意の三味線で浄瑠璃の河東節を上手に奏でたといわれ、市井の流行を取り入れるのも遊女としての資質ともされる。



やはり吉原の遊女たちはすごい。

読み書きでさえ、皆が習得していて、これぞ吉原クオリティといった感じですね。なぜここまでのクオリティに仕上げるのかって、遊女が商品だからなんですけどね。遊女屋も上客を取りたいから、遊女に教養を仕込ませる。

吉原の遊女には教養があったと言われるのには、ここまで吉原遊女をブランド化させるのには、遊女の並々ならぬ努力妓楼のマーケティングがあったわけです。

当時の市井の女性にはない教養、品、美しさを持ち合わせる吉原遊女は、江戸庶民の憧憬といわれるのも納得ですね。


本日はここまで!



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以上。



[1]林平書店『洒落本大系 第6巻』(林平書店、1931年)国立国会図書館デジタルコレクション

参考文献


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