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人間と動物の、ほんの少しの差

「言語の本質」
今井むつみ 秋田喜美

 アンディー・クラークが「現れる存在」で述べているように、人類は外部の「足場」に様々なものを肩代わりさせ、身体や脳の負担を軽減させる能力に突出している。そのため他の動物とは一線を画しているのだ。例えば、ノートにメモを取ること。これは紙とペンを使って思考を言語に変換して書き写し、保存することで脳が記憶する容量を減らすという行為だ。ここで、「言語化」ということが大きなポイントとなる。

 コミュニケーションをとるにしても、身振り手振りで身体を使ってやるよりも、言語を使う方がエネルギーの消費量は少なくすむだろう。他にも思考を整理する、思考を視覚化する、といったことは、人類の発展の要であり、言語はそのためには欠かせない道具であるのだ。

 では、その言語はどこから来たのか。ウィリアム・S・バロウズの言うように、言語は人間にとりついたウィルスであると考えると面白いが(実際、それに近い学説もあるようだが)、ここは原始の鳴き声から徐々に「言語」に発展していったと考える方がまっとうだ。「言語の本質」では、まずオノマトペを考察する。自然界の音をまねるオノマトペから、音の持つアイコン性、オノマトペと一般言語との比較から、オノマトペは言語なのかどうか、そして幼児の言語習得を考察し、言語が進化していくものであることを見てゆく。

 言語がオノマトペに始まり、様々な意味を纏って次第に進化していく様子は、まさに道具がだんだんと進化していく様を思わせる。最初は単純な音の発声が「言語」となり、やがて現代にいたる人類の繁栄を招いた。人類と動物の差は何なのか。なぜ人類だけが言語を持つのか。

 そしてこの考察が、人類にあって他の動物にないもの、アブダクション推論ができるか否か、というところに行きつく。これは人類の学習能力にとって大きな力となった。人類と他の哺乳類の脳の仕組みは、実はそれほど大きな違いはない。少しの違いで、人類は言語を操り、それで物語や詩や歌を書き、技術を高めて共有し、繁栄した種族になった。
 言語を使うことで脳の省エネルギー化が進み、余剰エネルギーは様々な発明発見に注がれた。多分、他と配線が少し違う程度、そのほんの少しの違いの結果なのだ


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