君たちがいて、私がいる
「水平線」
滝口悠生
東京23区から南に1200キロメートルの所に硫黄島という島があって、太平洋戦争で米軍と日本軍の間での激戦の末、アメリカ兵が星条旗を立てるあの有名な写真が示す通り、かつてアメリカ軍に占領された。島民は疎開したが、島に残った兵士、および、軍属として徴用され島に残された島民の多くが戦闘によって死亡した。1968年にアメリカから返還されたが、以来島は自衛隊が管理し、東京都が春のお彼岸に行っている、旧島民とその親族向けの墓参事業を除いては一般人の入島は禁止されている。
この「水平線」では、そんな硫黄島に暮らした家族と、その三代後に東京で暮らす兄妹との間に生じる物語だ。
フリーの編集者兼ライターだった兄(横田平)はぼんやりとした不安から休職を願い出た。現在独身。今は一人で小笠原諸島の父島に向かっている。「八木皆子」という、知らない人からメールが届いたのだ。皆子さんは父島にいるという。どうやら、皆子さんは亡くなった祖母の妹ということらしい。横田が現在38歳、ということで計算すると、皆子さんは90歳を超えていることになる。
アルバイトとしてパン屋で働く妹(三森来未)は店長を任されるくらいのベテランだが、今はコロナ禍で苦労は多かった。現在36歳独身、実は15年前に墓参事業で母の代わりに硫黄島を訪れたことがある。そして、彼女にも知らない男の人から携帯に電話がかかってくる。亡くなった祖父の弟、忍だという。
硫黄島に暮らした人々、兄妹の祖母と祖父、そしてその兄弟姉妹の青春時代と、祖母イクの結婚と出産、同級生たちの淡い思いを経て、やがて戦争がやって来て、硫黄島から疎開する、そんな話を、皆子さんのメールの文章、忍さんの電話での話で追いながら、視点はすっとその当時の人たちに変わり、語り手も変わる。かと思えば現代の、父島を一人で散策する横田の視点になり(google mapなどで父島の地図を見ながら読むとリアリティーがある)、または忍さんの話を聞きながら、同級生の元カレと釣りをする来未の視点になる。この混ざり具合が非常に心地よく、読み進めるうちに時間は混ざり合って一塊の空気になって、その中でたゆたっているような気持になる。
苛烈な戦争体験が直接描かれるわけではない。だが、不条理に日々の生活を追われ、生まれ育った土地を離れ、親族とも離れ、そしてもう帰ることができない、そのような哀切はしみじみと伝わってくる。
最終章、果たして誰の視点なのか、いつの話なのか、よく分からないまま引き込まれていく。やがて疑問が解けて、静かな感動が押し寄せる。
あなたたちがいたから、私たちがいる。その思いを強くするとともに、あなたたちも、私たちとのつながりを感じたいだろう。そのためのツールとして、作中で選ばれたのはスマートフォンだった。なるほど、そうか。空間の距離を詰めて話ができる電話と、時間を自由に選んで意思を伝えることができるメール。時空を超えたつながりを可能にするのは、当たり前かもしれない。あらすじとかを見るとぱっと見は怪異譚かファンタジーかと思うがそういうものではなく、作者の筆致の上手さと登場人物の魅力と、丁寧な取材がもたらすリアリティーで、そういうこともありなん、と納得してしまう。稀有の傑作になっていると思う。
私は電話が嫌いだ。こちらの都合を無視して割り込んでくる電話は暴力だとも感じていた。だが、忍さんは「電話ってそういうものだろう」と言う。そうだね。話したいことがあってかけてくるのが電話だから。わかった。これからは電話を嫌わないようにするよ。話をしましょう。
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