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「~しないと〇〇って思われちゃうよ」と言わないで

子どもにうっかり言って後悔した言葉が
「~しないと〇〇って思われちゃうよ」
です。うっかり言っちゃったのには理由があって、私がたくさん言われてきた言葉なんですね。言った、言われた経験がある人は多いんじゃないでしょうか。

子どもの頃は親から、会社員時代は上司から「もっと~しないと〇〇って思われちゃうよ」ってめちゃくちゃ言われました。まあ、私にそれだけツッコミどころがあったんです。脳内が多動で、飽きっぽく忘れやすい、規律を守るのが苦手……(私にはADHDの気があります)。ちょっとしたルールを守れないので「もっとこうしないとダメなヤツって思われちゃうよ」と言いたくなるのが親心、上司心だったんでしょう。

私を思ってのアドバイスだし、ひとつの事実だってことも重々承知なんですけど、ダメ出しされ続けた人間がどうなるかっていうと
「私には落ち度があるらしいから、人からどう見られるか気にして動かなければいけない!!」
って思うようになるんですよね。そわそわビクビク、人目を気にするようになるんです。私はダメだから、がんばって認められるようにふるまわなきゃ!と。自意識過剰になって、承認欲求が強くなります。

大勢の飲み会ではいろいろな人の本心や意図を考えすぎてクラクラして、よく「気にしすぎじゃない?」と言われました。でも私の自己認識は『自由で規律を守れないヤツ』なので(間違ってはない)「私が気にしすぎ?んなアホな」と思っていました。

今思えば、確かに「人にどう思われるか」を死ぬほど気にしていました。AしないとBって思われちゃうから、と。

でもね、本来自由奔放で規律を守る能力が低いヤツが無理にレールに乗ろうとしても、うまくいかないんです。「ちゃんとやらなきゃ、でも本当は嫌だ、ああなんかうまくいかない!」ってから回って、しんどいんです。だから承認欲求は満たされず、自己肯定感も上がらず、自意識は過剰なまま。

それでも「みんなだって自由に過ごしたいけど、我慢して規則を遵守しているのだ」と思って七転八倒してたんですが、ここ1~2年で温度感が違うことにうっすら気づきました。みんな自由が好きだけど、意外とルーティーンも好きらしい、と。

だって大抵の人は転職したいって言っても辞めないし、安定と平穏を好むし、お約束も好きじゃないですか。私はどの会社も1年くらいしか続かないし、似たような日常が続くとうんざりするし、予定調和の流れが見えると空気を読まずにぶち壊したくなってウズウズします。(とか言うと友達が減りそうだな)

―そうか、私は人より劣っているのではなく、人と違うんだ。

そう思ったとき、ふーっと楽になって、前ほど人が気にならなくなりました。私は継続力がなく不注意も多いけど、瞬発力はあるし行動的です。欠陥ではなく特徴。一長一短ある、私の個性です。

そう気づいてから、髪をピンクにしました。『お母さん』の枠にハマらず私個人の人格を維持したい!という本心に従って、好きな色にしたんです。万人モテを求めてブリーチは一切してこなかった私が、一気に派手髪デビュー。ピンク髪の母親は保育園で浮きまくりですが、目立っていいじゃん、と思っています。

いまだに自意識過剰で自己承認欲求もあるし自己肯定感も高くはないけど、「これ”でも”いいじゃん」と思えるようになって、かなり身軽になりました。自分のやりたいことを気兼ねなくやれる日々が、こうも生きやすいとは!

「~しないと〇〇って思われちゃうよ」

確かにこの一言は、紛れもない愛です。でもときに呪いになる。心を縛る縄になる。

であれば、自分の子どもには言いたくない。たとえ多くの人に好かれなくたって、自分が望む道を歩いてほしい。他人を気にするあまり、自分を卑下したり嫌ったりしてほしくない自分を評価せず、そのまま受け入れてほしい。受け入れたうえで、どう行動するか決めてほしい。

もしだれかに言いそうになったら、あるいは自分に言いそうになったら、そっと飲み込んでほしいです。何かを伝えるべきなら、別の言葉で伝えてほしい。主語を他人でなく、本人にしてほしい。「あなたがこうなっちゃうよ」にしてほしい。

自分目線で生きないと、あなたの人生が色あせてしまうから。
虹色の世界を生きたいですね。

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秋カヲリ@星天出版代表
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