仏教徒だけど、私を絶望から救ってくれた神の本(私の人生本⑥「神の使者」と「神との対話」)
私は、過去に、肝臓周辺に持病が見つかって手術をしたことがあり、その後遺症で、時々高熱が出ることがある。(肝臓って40度近い熱がでるのよ…)
最もひどかったのが、4年前で、3~5日サイクルで高熱と平熱を繰り返す日々が10ヶ月続いた。
当然、会社は退職。いつ体調を崩すか分からないから、友達との約束すらできない。
わかります?この絶望。
いつまでこれが続くんだろう。
ずっとこのままだったらどうしよう。
私は、どうやって生きていくんだろう。
生きる価値があるのかな。
寝ても醒めてもそんなことばかり考えていた。
そして、救いを求めて、貪るように本を読んだ。
そういう時に読む本って、人生を考えるようなもの。
宗教、哲学、人生訓から、宇宙、神、スピリチュアル、古典文学…
助けてもらえそうなものならなんでも読んだ。
今回はその中の、「神」についての本2冊をご紹介。
ゲイリー・R.・レナード「神の使者」
ニール・ドナルド・ウォルシュ「神との対話」
この二つは、神が語ってることをまとめている本だけど、語られている世界観は全く違う。
ざっくり簡単にいうと(読み流し可)
「神の使者」は、
この世界は、エゴが見せている全くの悪夢、いわば夜見ている夢のようなもの。早く悪夢から目覚められるように、いつも夢だって自覚して生きなさいというもの。
「神との対話」は、
この世界は、元々一つの存在だったんだけど、その存在が、色々経験してみたいと思い立ち、何かを経験するには、他者がいないとできないから、人間となってこの世界を作ったっていうもの。
だから、本の中では、
A:僕は「怒り」というものを経験したいんだ
B:じゃあ、私があなたを怒らせる役割をするね
と、約束して生まれてくる、とある。
で、ここまでの内容は、読み流して、
結局言いたいことは、
「この世界は、執着するものではない」
だと、病床の私は理解したのです。
「神の使者」では、早く夢から醒めろというし、
「神との対話」では、ただその感情を経験したいだけだという。
どっちにしても、
「何かを達成しなさい」とか
「ちゃんと働いで自立しなさい」とか
「よりよい社会を作るのに貢献しなさい」とか
「志を持ちなさい」とか
「稼ぎなさい」とか
「人格を向上させなさい」とか
全然言わない。
それが、当時、寝てるしかできない私には、救いだった。
ただ、こうしてるだけでもいいんだって許された気がした。
病気を早く治さなきゃ、働かなきゃと思わなくていいんだ。
ただ、生きていていいんだ。
私は、キリスト教徒ではないから(典型的な葬式仏教信者)、この本が、キリスト教の中でどういう位置づけかは分からない。
それでも、この本によって私が救われたのは事実。
「執着しない」というのは、
他の宗教でも仏教でも言われていることかもしれないけど、当時の私には、これがすごく響いたのでした。
正直、見えない存在のことについて書くのは勇気が要ったけど、当時の私と同じように、苦しんでいる人の参考になればいいな。