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「それは私の担当ではありません」について思うこと。

たくさんの人に価値を届けるなら、提供する価値をさらに高めていくなら、責任やタスクを切り分け、複数人で仕事を進めるような分業制を採用すると思います。

分業制がうまく機能すれば、各々が自身の強みを持ち寄り、いくつかのアイディアを掛け合わせ、商品やサービスの価値を最大化させることができる。それに対し正しく値付けできていれば収益も最大化する。クリエイティブの現場においても、例えば、デザイン、コピーライティング、マーケティング戦略など、異なる専門分野のプロフェッショナルが相乗効果を生み出す意識を持った上でそれぞれの役割を全うすることで、全体のクオリティが向上する。

ただ、分業制は諸刃の剣で、歯車が狂ってしまえば、チームで仕事を進めることが仇となり、一人のプレイヤー(個人でサービス提供する人)よりも提供価値が劣ってしまうこともある。しかも一度狂ってしまった歯車は修復になかなかの時間を要する。

私自身これまでいくつかチームを渡り歩いてきましたが、分業がうまく機能していないチームにおいて、必ずと言っていいほど聞く言葉が、「それは私の担当ではありません。」です。これを聞くたびに、チームとは何なのだろうかと考えさせられる。(同時に、何だかやるせない気持ちになる;)

おそらくこの言葉が通用するのは、安定して継続的に同じタスクが発生しており、そのタスクをこなすオペレーションもしっかり確立されているような
大手企業の中くらいだと思います。

世の中の流れに応じて常に変化を迫られ、その変化のスピードが試される中小企業では間違いなく「それは私の担当ではありません。」は受け入れられない。

だから担当した仕事だけを淡々とこなしていたいのであれば、卓越したビジネスモデルが確立されている大手企業に籍を移すか、もしくは一つのアウトプットを極限まで磨き上げフリーランスになるのがその人にとっての幸せなのだと思う。

ただ、「それは私の担当ではありません。」という言葉は、実際には本心から出た言葉でない可能性もある。そのため受け取り手は「ああ、元々そういう人なのね。」と早々に相手の考え方を決めつけてはいけない思う。もしかすると、「企業の仕組みがその言葉を引き出させてしまった」というケースもあり、この場合は、企業やチームの仕組みを見直さない限り今後もまた違った人から「それは私の担当ではありません。」という発言が出てしまう。

「それは私の担当ではありません。」と発する人はおそらく、「頑張ることに疲れた」が本音なのかもしれません。いや厳密には「頑張っている人が損をする仕組みに疲れた」だと思います。

とは言っても、会社やチーム側からしてみれば、今の仕組みに疲れてしまう前に、「自分の役割を遂行しながら、それ以外のことに対しても自ら声を上げ、行動できる」ことが中小企業の中で働く人材として期待しているところだと思います。(大前提それぞれの意見を受け入れ、尊重するコミュニケーションが会社に存在している必要がある)

結論、リソースが大企業よりも限られ、柔軟性やスピードが求められる中小企業においては、全員がリーダーくらいのスタンスで特定の課題を向き合っていかなければ、分業がうまく機能することはない。ここでいうリーダーとは、当事者意識があり行動する人です。

上記のような体制、文化を作り上げていくには、今すぐに「会社のビジョンに沿って行動し続ける人」、「成長意欲が強い人が喜ぶ仕組みづくり(報酬、評価制度の見直しなど)」が必要。また、定期的に「経営と現場」もしくは「部署間」の視座や視点のギャップを埋めるようなワークを行うことも大事だと思う。ちなみに「それは私の担当ではありません」と発言する人をそのまま放置することは、最も避けるべき対応であるとこれまでの経験から強く感じてきた。

こんなことを書いていると「あなたは完璧にそれらの仕組みを作れているの?」とツッコまれそうですが、そこに関してはあまり触れないでいただけると嬉しいです。(毎日お腹痛めながら頑張ってます)

兎にも角にも、全員に喜ばれる仕組みなんて存在しないので、どれだけ長期的な視点で個人や会社と向き合えるかが鍵なのだと思う。


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