なんでもない日々をどれだけ積み上げていくか
今日は朝からずっと雨。
雨の日は呼吸が浅くなる。意識的に頭を持ち上げなければ、ずっと重たい何かが喉の奥らへんからせりあがってくるような感覚になる。湿度が関係しているのかどうかはわからない。
家族が寝静まった後の薄暗いリビングで一人、ハーブティーなんか飲みながらゆっくりする時間がとても好きだ。
昼間は、絶え間なく投げかけられる子どもたちの無邪気な要求に、応えたり応えなかったりしながら、その合間で何とか家事をこなしているうちに、気づけば時間が過ぎている。
そんな日々のなかで、たまに、ふと、私はいったい何をしているんだろう?と考えるときがある。
子どもたちは可愛いし、夫とも仲が良い。寒さをしのげる家もあるし、人間関係で深刻に悩むこともない。
今の生活はとても幸せだと思う。思うけれど、自分の中のもう一人の自分が、「でも何かが足りない」と常に首をひねっているのだ。
物心ついたときから、普通の会社員にはなりたくない、別に結婚もしたくない、私はいつか何者かになるのだ、と思っていた。
だけど実際は、普通に中堅どころの会社に就職し、営業職が合わないからとすぐに辞めて事務の派遣社員になり、学生時代から長く付き合っていた人と普通に結婚して、何者になることもなく、今に至る。
そんな自分の自叙伝を書くとしたら、きっと、ひどくつまらないものになるだろう。
…と、ここまで考えて、又吉直樹さんが自身のYouTubeチャンネルで語っておられたことを思い出した。
確か、新社会人に向けたアドバイスを、又吉さんが百個答えるという企画のなかで、
"人生のほとんどの時間は、自叙伝にしたときには絶対に載せないような、なんにもない時間だが、その、なんにもない時間を積み上げていけば、それがいつか武器になる"
というようなことを言っていたのだ。
どういう話の流れだったかはあまりよく覚えていないが、その言葉がとても印象に残っていた、ということを思い出したのだ。
なんにもない時間を積み上げていけば、それがいつか武器になる
それはきっと、なんでもない日々の、なんでもない時間を、しっかり味わい、感じ、自分なりに咀嚼してゆけば、少しずつ少しずつ自分の中に何かが貯まっていって、それがいつか大きな決断をするときの後押しになる…というような意味ではないだろうか。
そう思ったら、退屈な日々のなかで感じることの一つ一つを大事にしていこう、忘れないように記録しておこう、と思った。
なんだかうまく伝えられないのがもどかしいけれど、このもどかしい気持ちもそのまま記録しておく。
そうやって、少しずつ、自分の中に何かを積み上げていこうと思う。