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不登校はじめました

私は今、問題を抱えている。
長男がちょっとした不登校になっているのだ。

それは金曜の朝だった。
お気に入りのライナスの毛布にくるまって登校10分前に泣き出した。しんどいと言う。熱はない。
幸い私の仕事は休めることもあり、しんどいのならば仕方ないと、すんなり休ませた。

土日をゆっくり過ごし、日曜の寝る前に喉が変だと訴えた。苦いような詰まるような感じがする、と。

月曜の朝も、泣いた。
そこでやっと私は気づいた。遅かったけど、やっと気づいた。
毛布にくるまり貝になっている長男にYES,NO.で答えるように時間をかけて問いかけた。

友達と少し嫌なことがあった。だから行きたくない。

早速、担任に電話をして事情を話すと担任はすんなりと理解を示してくれ席替えをして、待っていますと言ってくれた。

でも長男は学校に行けない。
あんなに元気いっぱい「よっしゃ行こかー!」と毎朝出ていってたのに。



私は長男に学校に行ってほしいと思う。
いつも通り元気に楽しく行ってほしい。
そこを考えてみた。
学校に行ってほしいのは「いつもと変わらない日常」を手放したくない私だけの理由であって、長男を心配する気持ちよりも上回ってはいないか。

心配するのは、すごく疲れる。
心配する自分がしんどいから、早く元に戻ってほしいと、このトンネルはいつまで続くの?いい加減にしてよ!考えてしまう。

本当に長男に寄り添うとはどうゆうことだろうか。

「行きたくないんやったら車で送ったるから」と小学校まで母親に送ってもらったことが何度かあった。「休みたかったのにな」と門からトボトボ歩いた風景を覚えている。

あれじゃない。あれは母親の世界から問題を見えなくしていただけだ。ほら、行けたやん大丈夫やったやん。と言われたら、それ以上の言葉は返せない。
確かその頃私は机の上に立って男子に椅子を投げつけた。


今休ませているのは正解なのか。悪手なのか。1ヶ月後にはわかるのだろうか。あの時がんばって行かせればよかったと思うのだろうか。

長男の心が繊細で脆いものなのだとしたら、今までも散々ひどいことを繰り返してきたんじゃないだろうか。私の育て方が間違いだらけだったから、行けなくなってしまったのか。

ああ!しんどい!
早く行ってくれ!行けばなんとかなるやろ。些細なトラブルや、大丈夫や!
そう言えたら私だけは楽になれる。
でもこれは私の問題じゃない。問題を抱えてるのは私じゃなく長男なのだ。はき違えてはいけない。悲しい主人公になってはいけない。辛いのは長男だ。

今長男が問題を抱えている。
私はどうサポートすればいいのか、手をこまねいている。

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