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外での食事に集中できない

強迫性障害を患っている人たちの中には
「前みたいに思い切り楽しむことができなくなった」という人が多いのではないかと思う。
私もそうだ。

食事に限った話ではない。
外出先の娯楽も楽しみもすべて、常に強迫観念に邪魔されて戦いながらしかできないので、発病前のように100%楽しむことはとてもできない。
周囲が気になる私と、どうにか楽しもうともがく私がいて、まるで本当の自分がここにいないような感覚のまま怒涛の1日が終わることもある。
楽しい、美味しいなど感情の動き率は、調子のいい時で6割くらいだ。これはあくまで私の体感の数字だが、強迫性障害を発症してからというもの、6割を超えることは稀だ。最大でもだいたい6割、というのが10年以上続いている。
元気な時の記憶…100%な状態を覚えているからこそ、意識してこんな数字を出してしまうのかもしれない。なんだか残酷だ。

そして本題。
近ごろ、外で食事をするときの調子が悪い。
妙に落ち着かないのだ。きょろきょろしたり、周囲の物音や声に過敏に反応したり。心身ともに警戒モード。
さきほど書いた6割だが、それが現在はだいたい4~5割くらいまで落ちているように思う。
最近の外食で、味をほとんど感じていないことに気付いたからだ。
脳みそが他のこと(強迫の症状)に使われてしまって、味覚がおろそかなまま食事が終わっているのだろう。
口では、おいしいとか色々と会話してるんだけどね。出先では自動的にそういう言葉が出るように鍛えられてしまったみたい。悲しい。

それでも、今はまだマシなほうと言うか、もっと悪い時もあった。
強迫性障害の崖を転がり落ちるように悪化していった頃。
当時は本当に大変で、座る椅子とテーブルの汚れ、カトラリーや伝票ホルダーにいたるまで、すべてのものに汚れがないかチェックをしないと、外食自体ができなかった。
案内されて緊張、着席して緊張、メニュー表をじろじろ凝視して緊張…。チェックの対象はカトラリー、皿、調味料、グラスなど、とにかくエンドレス。
少し前の記事で、外食ではラーメンなどの汁物しか食べられなかったことを書いたが、まさにその頃だったと思う。味はほとんどしなかった。
せっかくチェックが済んでも、食事を運んでくれたスタッフの手に傷や絆創膏を見つけてしまうともう食事をすることはかなわず、言い訳を作って料理に口をつけないまま店を出たこともある。
代金は当然支払った。地獄のような日々だった。

でも近年は、長いあいだ積み重ねている訓練のおかげで、外食にそこまでの苦労をすることはなくなっていた。
チェックを始めるとキリがないから、とにかく自分に禁止して、最低限の目視やパッと見の印象で判断するよう、行動を矯正し続けているのだ。
汁物以外も食べられるようになった。

なのに…。

今は調子が悪く、あれこれ気になって記憶がまったく鮮明じゃない。
回避や確認をコッソリやっていた記憶ばかり。
どうしてなんだろう…。
夏の疲れが残っているのか、最近の気温差でちょっと弱っているのか。
はたまた、食事の場所や面子などに慣れてしまったのかもしれない。
気心知れた人たちとの食事に最大限の価値を見出して、とにかく「今に集中!楽しむのが第一!」と脳に言い聞かせていたのだが、少しそれが足りなくなってしまったのかもしれない。
実際、外食に行く回数は多くて、多少のマンネリ感はある。

強迫性障害の改善には、慣れや暇が大敵だと言うけれど…
ちょっと気を抜くとこんなふうに逆戻りになってしまうのは、けっこう辛い。
ずっと自分に厳しく矯正し続けて、生きていかなきゃいけないのかと思うと…。

とはいえ、嘆いてても仕方ない。
なるべく早く軌道修正して、せめて6割まで戻したい。

できることなら、いつかまた100%の私に会いたい。