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ただいま

お久しぶりです。最後の投稿から、といっても分母が少ないのでこの表現は似つかわしくありませんね。
線維筋痛症でフルタイム勤務をしている事務員、haciです。


と、いうわけで(目次だけで事足りる)

プロフを書き換えなくちゃ!

などといいながら
過去記事の大半を非公開にしてしまいますぞ。

いやぁ…通常の自分と区切るために、自分のしない文体なんですよ。
いくつかは残しているので見比べたらわかると思います。
昔だからではなく、当時の私のほかの文章と比べてもヘン!!!
ほかのSNSと両方見てくださってる方にとっては、気持ち悪いはず!
そこまで違いを感じないかもしれませんが、私自身が無理だったので。
いいねしてくださったかた、ありがとうございました。

編集画面から抜粋(病歴ではありません)

近況

余生をどうやりすごすか悩みつつ、日々を消化する感じの日々でした。
こんな自分でも幸せになってもいいですか?と気が付いたのは数年前。
これはそういう人間の、日記か何かです。
何を書く場所にしていたかは覚えていません。
病気についてのまとめ書きになるはずが、ちらかって放置してた
「何々アカウント」とか「このサイトは何々用」とか使い分けるだけの、理性というか知性というか、そういうものが欲しいのですがね。
どうもうまくいかないでおります。
で。
去年ぐらいから業務ストレスや未来への悲しみで健康がえぐれていましたが、先月からちょっと回復してきたように思います。
とくに10月末は、毎月末の生理前のしんどさから解放されていたり、そもそも日常の落ち込みが消えましたね。なんといえばよいか難しいのですが、人格レベルで自分を何年振りかに取り戻しました。驚いた、まだ生きていたのか本物の私。
という、何を言っているのか意味がわからない経緯があり、創作も再開できたらという気持ちが盛り上がってまいりました。
気持ちだけで終わらないようにしたい。
「体も人格もついてきてくれー!!!」と、思ってます。

創作が趣味だったの?

それについては、そうなんです。
幼稚園の頃から自分で本を作って、小学校低学年の頃はキャラデザは自分だけど清書は絵のウマい姉に頼んで気合をいれて本にしていました。
姉は宿題が忙しいなりに3巻までつきあってくれました。それから自分で再チャレンジで、ずっとずっと手書きがワープロになるなど変化しながら、同時に複数作品を書いて雑誌風にまとめるなどいう遊びをずっとしていました。
(周囲の子のリクエストが無責任・無尽蔵に画材やスケッチブックを消費するので、お金を取ればいいと周囲の大人が言うのを真に受けて、本当に有料にしたら、ものすごく叱られました)
創作同人誌として売りにだすようになったのは高校一年生でした。
その後、大学時代は事件・事故がつづいて創作はこじれます。
外部の友人の、演劇の脚本や小道具の依頼を受けたり、出ることもありましたが、学校自体にいけてなくて。
やー……椅子にお尻が収まらないし、そのことを相談できない必須講義が複数あった時点で、自主退学すべきだった(私より肥満の人もいたのに、どうしておさまってたんだろう??)

でもそれって、作品でコロせない自分が悪いんですよ。

創作に話を戻すと、通販がメインになるけれどまだ匿名配送ができなくて、住所を見て訪ねてくる人などあって困りましたね。
また身内が(その身内には黙ってましたが、くしくも)自分もストーカー被害にあい、活動は縮小されました。
それで、イベント出展や講師にいどむのですが、打ち合わせと称して若い女とお茶したいだけの自称担当者などに振り回され、時間と費用と時には性的消費の危機などに苦しみました。
でもそれって、作品でコロせない自分が悪いんですよ
下郎の自称担当者が、美術の良しあしを感じないとしてもだ。
わからないからこそ、本当はそんな価値がない出来の悪い作品でも、いかにも売れますって感じの圧を感じる御作家様だったら、金の卵にそんな無礼は働けないわけですから。
ハー、負けました。
とりあえず抱えられない重量になってみたけど、抱えて拉致みたいなことをされなくなっただけでセクハラは消えなかったし、もうもとの体型まで瘦せきれませんギャー!!!

というところで、自分では感情の区切りをつけてます。

それから、自称担当者のカラ打ち合わせや、打ち合わせラフを勝手に形にして報酬から逃げる依頼主。あるいは途中でプロジェクトに飽きたから要りませんとゼロ円で逃げられたり。
そういう諸々に負けるのは、自分の社会人経験がないからだと痛感しました。
 
周囲がかけつづけてきた呪いがあります。
「プロなんか一握りしかなれないんだから諦めて、会社で絵が得意なら機会がある時に描かせてもらえるじゃない(無償労働)」
これは呪いとしか受け止めてませんでしたが、消費者の意識・意識そのものだったんだなと学びました。
「好きだからできて嬉しいでしょ」
「実績になるから」
「ボランティア(無償)で」
「友達だから安くしてよ」
「相手は私の友達なんだから、依頼を受けて。くれぐれも私の顔に泥を塗らないでね」
などなど、本当にだるい……そして面白くない。
 
人型のケダモノ依頼主に負けないために、私には社会人経験が必要です。
「人間たちを知らなくては」という怪人目線の心で人里におりた気持ちです。
 
それで介護施設の正社員になりましてね。
壁の月替わりの装飾やリハビリ玩具に、リハビリ向けの絵の用意など、美術によるケアを模索してました。
→地元の治安もあり、始発前の早番はナシにしてもらう契約のはずが、早番が組まれる。そのことを抗議したら「今日限りでクビですが勤務終了時間まではやってよね」ワンオペのフロアから23:30退勤。わろた。
 
コールセンター。
開口一番「◯ねぶっkoroす幼稚園卒業クソ野郎」からの句読点代わりに「アホボケカスシね」みたいな感じの電話をあびつづけるお仕事ですね。
人間のサンプルが豊漁。
ただ、単純にタイピング量が尋常でないうえに、秒未満コンマの時間管理で電話に手を伸ばして~のような作業を、両手が燃えるような痛みのなかやってるわけで。手が勝手にねじれた形にひきつったり、コントロールがきかない日もありました。
そんなある日、会社が健康状態があやしいひとを呼び出して誓約書まがいに病院の診断書を求めたり色々画策して、実質ローラー作戦的に追い出されました。「生理休暇を毎月確実にとる」も追い出されます。
ダイバーシティ&インクルージョンをかかげ、レインボーパレード参加をたかだかに宣伝してる会社なんですけどね。
 
そして今に至る。
期限付きの非常勤職員で、ヒトではなく備品です。
オープンにしてはたらくつもりの初日。
「線維筋痛症という持病のせいで身体障害者でして。できないことがあってご迷惑をおかけするかもしれませんが、」
と伝えた同期は文字通りの「ごあいさつ」でした。
「えぇぇぇ?障害者にみえないけど、あ、急に叫んだり泡拭いたり暴れないでくださいよ?迷惑ってそういうことでしょ。あれ怖くて無理なんで、しないでください」
「そういう発作系ではありません。体が不自由なのと痛いので、要はみためどおりのオバサンではなくよぼよぼのおばぁちゃんぐらいとおもってください」
「やだー、まだ若いですよ」
いま3年の任期が終わり、新規のかたと一緒に試験をうけて私がいなくなって空く席にはいるのは私という小ネタ状態で4年目です。
最初の課長は「接していて障害を感じないけれど、それでも手帳が出るということはよっぽど素人の自分にはわからない難しいものを抱えてるのかな」ぐらいのスタンスでいてくれました。すごい。わからないものへの接し方として高得点すぎます。
いまの課長は「みんなこうやってるんだから、ちゃんとやってよ!」みたいなことをよくおっしゃる。
いや、規則を守れずに指摘をうける私が悪いのですが、真面目な私が守れない規則っておおくのひとが自分や家族の病気介護育児の都合で柔軟に対応してもらうべきところなんですよ(そして対応してもらってるようだ)
なんだかなとモヤモヤしつつも、いままでの仕事より業務内容が軽いかるい。それで居座ってます。 
昨今『「そんなことないよ」待ちの偽りの自虐』が話題になることもありますが、そんな気の利いたものではなくで正味いいます。
即日解雇もローラー作戦自主退職も、私が弱いのが悪い。
やり方や言い方がおかしいだけで、私が雇う側でも私のような人間は扱いに困る。
私に隙があったから、これらの失業はしかたがない。

↑区切りをつけたといいつつ、長々と愚痴っとるやん?

ということで、日々、SNSに愚痴は吐き出せるのに創作の手は止まってる感じで生きてしまいました。
それではダメだ。
悪く言いたいだけの人たちからの、いわれのない悪評の水準に自分でおちていって本当にしてしまっては面白くありません。
と自分でも思いつつ、手が停まっていたので。
 

えいえいおー

内容が伴うかわかりませんが、
今日のように自分語りが痛々しい内容になるかもしれませんが、とりあえず今日は「創作を再開するぞ」の宣言でした。
決起集会だ。
もう一回、えいえいおー。

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haci
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